香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

愛の裏返しを裏返せ!


↑ 僕のお抱え運転手のダイさんとふぁちゃん


お籠もり期間中、WOWOWシネマで、

『祈りのちから』が再放映されていたので見てみた。

他の用事をしながらの〝ながら見〟だったのだが、

その中で〝慈しむ〟という言葉が深く心に響いた。

そのとき、僕はこの言葉を、

夢の世界に顕れている〝自身の心の中〟を慈しむ、

という意味で捉らえた。


家族や友人や同僚、または、ただ道ですれ違う人、

動物や花や建物や服や身の回りの品々など、

全ての人やモノを、まずは、自分の無意識の心が、

分離して外へ顕れ出たものと認識したうえで、

それらを、慈しみ(慈悲)の眼差しで見てゆく。

そうやって、夢の世界に顕れた兄弟たちを敬い、

大切に思うことで、自分の心の中を癒してゆくのだ。


なので、感謝する、慈しむ、愛する、を実践するには、

ある程度世界を赦せていることが必要となってくる。

さもないと、いくら周囲を愛で見ようとしたところで、

僕の経験上、速攻でエゴのしっぺ返しを食らい、

KOパンチでノックダウンされてしまうからだ。

また、感謝や愛への意欲を持てば持つほど、

無意識の罪悪感が刺激され、相手からガンガン、

攻撃されるような現実を創ったりする。

要するに、感謝や慈しみは、いとも簡単に、

嫌悪や憎しみへと取って代わられてしまうのだ。


なので、現われている現実は、

自分が隠蔽した罪悪感の投影であるからこそ、

慈しみ、癒すことが必要だと認識していることが

とても大切となってくる。


↑僕にとっての大いなる赦しの銀行

と、そんな悠長なことをほざいていたら、

今日から来ることになっていたケリーの後任が、

朝の9時を過ぎても出勤してこない。

慌てて人材紹介会社を通して確認してもらうと、

既に別のもっといい会社を見つけた、とのこと。

だが、

人材会社の人が先週末に確認の電話を入れた際には、

ちゃんと出社します、と言っていたそうだ。

まさに、事前連絡なしの出社ドタキャンすっぽかし、

である。

うわっ、こんなの初めて…。

これには人材会社の人もあきれていた。

それにしても、彼女、旧正前に2日間、

オフィスでケリーと引き継ぎまでしていたのに…。


このような事態を受け、

地球爆発級のドキドキびゅんびゅんがくるかな、

と思いきや、不思議なことに、何の動揺も起こらず、

即行、何を咎めることもなく、心の中を赦していた。


冷静であった根底には、やはりこの世界は夢であり、

登場人物も、起こっていることも、真実ではなく、

目覚めれば消えてしまう妄映である、

ということが心底腑に落ちて入っていたことが大きい。

あとは、

こんな無意識の罪悪感を投影した世界など信じない。

全てを受け入れ、聖霊に投影を白紙に戻してもらおう、

という、兄貴への信頼があったからだと思う。


そうこうしているうち、現実がさらに、

〝消えてゆく夢〟として感じられてきた。

そして、僕の場合、まるでギャグのように、

本当に人々が消えてゆくから不思議だ。

それはもう、勤めている会社が消えるのではないか、

というくらいの勢いである。(笑)


赦すウンヌンの前に、聖霊なんちゃらの前に、

いまに在るとか、感謝や愛がどうのこうの、

という前に、前提として絶対的に必要なのは、

ここが夢の世界だという100%の確信だ。

それは、眠っているときに見る夢を、これは夢だ、

と確信しているのと同じくらいのレベルで

分かっていながら存在している、ということだ。


僕もまだ、

夢の中でアワアワすることは多々あれど、

ここが夢だと、知ったうえで生活している。


と、言いつつも、ここが夢だと知ったうえで、

新たな候補者を探すべく、

人材会社へ電話する僕であった。(笑)