ずっとお籠り三昧で文章ばっかり書いていたせいか、
イマイチ、現実世界に戻り切れていない。
本社から、売掛金の相殺がどうの、と電話が来ても、
頭がフワフワして、テクニカルな処理ができないのだ。
相殺ってなに?アグリーメントってなに?ていう感じ。
社会復帰まで、ちょっとリハビリが必要かな。
ここのところ、朝の通勤電車の中では、
スマホも見ず、本も読まず、音楽も聞かず、
一様に自分の内側だけに深く入って過ごしている。
その中で、最も強烈に感じることは、本当に自分は、
神(父)の愛を知ることを強烈に恐れているんだな、
ということである。その反面、父に恋い焦がれ、
熱烈に父を愛しているのに、なぜか、
その事を絶対に知られてはいけないと思っていて、
父に自分の愛を知られ、もしその愛を拒絶されたら、
自分はもう破滅だ、と恐怖に震えている。
それって、もう、究極の〝愛の裏返し〟だと思う。
小学生の頃、
好きな女の子にはなぜか意地悪をしたくなり、
わざと困らせるようなことをして、相手の気を惹く、
というアレだ。
嫌われることで、自己の存在価値をアピールする。
また、
こちらから好きだと言って拒絶されるくらいなら、
憎まれながらでも関係を保っていた方がましだ、
とさえ思っている。
でもって、ある日、なにかの奇跡が起こり、
普段、意地悪ばかりしている相手から、
〝あなたのことが大好きっ!〟と、
両手を広げて駆け寄ってこられたりすると、
途端にパニクり、相手の手をバシンと跳ね除けて
逃走してしまったりする。
そして、そのあと、
愛を拒絶してしまった罪悪感でのたうちまわり…、
とまあ、電車の中で深く自分の内奥を観ていると、
心の中で、父を相手に、延々、このようなことを、
ぐじゅぐじゅやっているのが見えてくる。
また、強烈な父への愛のすり替えとして、
父の代わりに何かを収集してみたり、
子供や、ペットなどを愛していたことを、
理解し始める。
もう、こんなの狂ってる。アホだ。アホでしかない。
なので、毎日、行きの通勤電車の中ではもう、
兄弟への恐怖を通して、裏に隠れた神の愛を感じる
などというような、代替工作を一切せず、
ストレートに自分の内側の奥の奥で疼いている
父に対する莫大な愛の想いにアクセスしてゆく。
が…、いつも途中で
〝思考のおしゃべり〟がわっ、と押し寄せてきて、
父に対する愛を認識できなくなってしまうのだが…。
でも、いい。
もう、愛の裏返しごっこはやめる、と決心した。
好きな女の子のスカートはめくらない、と決めたのだ。
自分はもう、
父と自分が相思相愛であることを知っている。
それをじっくりと認め、受け入れてゆく。
もう、幾重にも屈折させた裏工作は必要ない。