今日、筋トレを終えた後、
ジムのパンドリーにあるセルフ式のカフェで、
本を読みながらコーヒーを飲んでいたら、
ひとりのおばさんが、僕の隣りに腰かけてきて、
僕と相席のテーブルに新聞を広げて読み始めた。
乱暴な手つきで新聞をバンバンめくるので、
僕のコーヒーカップに新聞紙がかかり、
今にもコーヒーの中に紙の端が入りそうになる。
とっさに、Excuse me! と言おうとしたが、やめた。
なぜかその瞬間、もう、夢の中で何が起ころうと、
一切、関わらず放っておけばいい、と思ったのだ。
別に、やめてください、と注意しても、
心の中の赦しとは何の関係もないのは分かっている。
もし、レストランでスープに髪の毛が入っていたら、
ウェイターに髪の毛が入っています、と言うだろう。
だが、もう、こういうカタチのレベルのことでさえ、
聖霊兄貴を信頼して、ただ起こっていることを、
消えるがままに任せていいと感じた。
これ、全部ウソなのだから、
どんな行動も言葉も必要ない、と心底思ったのだ。
で、放っていると、そのおばさんは、何を思ったのか、
突然、新聞を持って別の席へと移動していった。
考えてみれば、なんかわざとらしい。
他に席は空いてるのに、なんでわざわざ僕と相席?
それからというもの、人が何を言っていても、
どんな事が起こっていても、あるがままを受け入れ、
なんにもしない、と決めた。
なぜか、そうした方がいい、と感じたのだ。
もちろん、仕事では普通にやるべきことはやるし、
業務上の決定や指示は、その都度行なう。
ただ、そこに、わたしがやってるという感覚はなく、
起こっていることを信じているわたしもいない。
行動を起こしている自分でさえも、起こるがまま、
兄貴と共に思考し、ただ観とめ、流してゆく。
常に兄貴と一緒にいることを意識して行動すると、
〝このメールにすぐ返信しないとヤバい〟とか、
〝これ、どうやって解決しようかな〟とか、
〝銀行のお金の算段がどうの〟という、
日常的な事柄が、何かの拍子で解決していたりする。
ていうか、別に解決しなくてもいい、と思っている。
なので、もう断固、起こっていないことは、
起こってないこととして、放っておく。
ただ、目醒めることだけに集中する。
夢の世界の出来事には関わらないと達観が起きた。
というわけで、とうとうケリーの後任が決まった。
それで、今週土曜日に一度会社へきて、
再度、新人さんと引き継ぎをしてもらえないか、
とケリーにラインで打診をしてみた。
そのときも、以前の自分だったら、
〝ケリーが来てくれなかったらどうしよう。〟
〝日給を増やしたら来てくれるかな。〟
〝自分が教えるのは忙しいし、面倒だな。〟
と、かなり、びゅんびゅん、来てたと思う。
しかし、今回、そういう動揺が全くない。
別にケリーは来ても来なくてもいいし、
どうなるのがベストなのか、自分にはわからない。
それに、出来事は本当ではないし、
自分はもう、夢からでてゆくと決めた。
2013年7月に奇跡講座に出会ってから、
はや4年8か月が経った。
外的な環境はそんなに変わっていないのに、
見えている世界は全く変わってしまった。
何より、聖霊兄貴が僕の中に在るのを
実感できるようになったことが、すっごくうれしい。
いま、僕の中に聖霊兄貴が〝ずっどーん〟と
入っていて、24時間兄貴と共に暮らしている。
あっ、それから、このブログの中で、
僕のプロフィールの写真がぼやけて見えている方は、
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ぼやけてない写真に変わります。