↑プロフィールの写真を更新する場合は、
Ctrl+F5を押して過去ログをリセットしてみてください。
今日は土曜日、
いま、会社のオフィスでこの文章を書いている。
今日は、朝からケリーと新人さんがやってきて、
仕事の引き継ぎをしてくれている。
シャーマンさんにドタキャンすっぽかしされたときは、
さすがに動揺したが、今振り返れば、あの事が、
聖霊を自分の内部に招き入れる呼び水になった。
何が最善かなんて、個の自分には解らないのだし、
ならば、もう完全に任せてしまおうとした結果、
理解が起きたのだと思う。
ただ、言えるのは、聖霊は決して僕たちに、
試練は与えないし、お試しもしない、ということだ。
なので、一見恐怖に見えるようなことが顕れても、
信頼して聖霊に任せて赦していればいい。
ここのところ、僕の、この世界に対する見え方が、
ある段階を超えて別の領域に突入したと感じている。
僕の場合、最初に起こったことが、
この世界は全く実在しない妄映で、
自分は夢を見ているに過ぎない、という自覚で、
次に、この世界は自分の心の中そのもので、
他者は自分の心の一部だ、と完全に理解したとき、
聖霊が自分のど真ん中にズボーんと入ってきた。
そして今は、寝ても覚めても、体の中に聖霊がいる。
(僕の場合、体内に入り込んでいる感じ。)
聖霊と共に、働いたり、喋ったり、食べたりしている。
聖霊を思い出して、委ねきる気持ちになると、
すーっと聖霊が僕の身体(意識?)の前に出てくる。
そうして、事あるごとに、これは夢なのだから、
こっちに任せて赦しなさい、とそればかり言う。
万が一、ううーっ、助けて、となるような事があっても、
次元を飛ばして助けるから、
全面的に信頼して委ねなさい、と…。
デイヴィッドやフランシスが言っていた、
24時間聖霊と共に在る、という感覚が理解できる。
もう、起きることを〝終わらせる〟為に使ってゆく。
今後、金持ちになるかどうかも、本を出すかどうかも、
そういう設定があればそうなるだろうし、
設定が無ければそうならないだろう。
幻想のことは、聖霊に任せている。
それから、
他者が自分の一部のように見えているので、
誰かが成功すると、それは自分の成功と同じであり、
逆に、困っている人を助けるのは、
自分を助けるのと同じ、という感覚になっている。
全ての他者は〝いつかの自分〟だと智っている。
いったい、どこまでいくのか。
自転車の後部に腰かけ、少しハラハラしている。
♪まっか〜な、自転車、二人乗り〜
このままどこかへ連れてって、
誰もいない、ワンダーランド〜♫
と、新田恵利でなくとも、
思わず歌いだしてしまいそうになる。
もちろん、前でペダルを漕いでいるのは、聖霊兄貴だ。