↑日本人ストリートミュージシャンが、
ネイザンロードで歌ってた。
こうやって世界中を巡っているのだとか。いいな。
いまの僕の夢の日常を見てみると、
主に3つの事しかやっていないような気がする。
ひとつ目は、日々を聖霊兄貴に委ねきること。
これは、自分の中にいる聖霊と共に日々を過ごし、
勝手に起きては消える反応や思いを兄貴に委ね、
咎めずに放っておく、ということである。
ふたつ目は、赦すこと。
これは、
起こっていないことを起こっていないとして観る、
他者をいつか来た自分、いつか来る自分として赦す、
ということだ。
みっつ目は、聖霊を延長させること。
これは、僕の場合、
自分が自分に欲しているものを与える、
ということを意味している。
自分が平安を望むなら、まず相手に平安を差し出す。
自分が怒鳴られたくなければ、何があっても、
どんな時でも、何をされても、先に笑顔を与える。
自分が電車のシートに座りたければ、
空いているその席を、まず他の人に差し出すのだ。
(実は、僕にはこれが一番難しい。なぜなら、
気づいた時にはもう、どのおばちゃんよりも速く、
空いている席に座ってしまっているからだ。)
とまあ、だいたいこの三つで一日が始まり、終わる。
するとやがて、次々に不思議なことが起こり出す。
パソコンの調子が悪いなあと思ったら、うまい具合に、
会社のサーバー管理をしている人が訪ねてきたり、
仕事が長引き、
トレーナーとのセッションに遅刻しそうになると、
運よく次の人の予約がキャンセルになっていたり、
ケリー後任ドタキャン事件でありゃりゃと思いながらも
赦して放っておいたら、すごい適任者が来てくれたり、
バス停に着くと、ちょうどバスが来たり、など、
こっちはただ 「はい。そうですかあ。オーケー!」
と、委ねて〝ほわーん〟としているだけなのに、
自分であたふた考えてやってた時より、
全てが、絶妙のタイミングで運ばれてゆく。
ただ、
何が正しいのか僕には全くわかりませんモード、
というか、完全自動お任せモードでいると、
絶妙のタイミングで全てが運ばれようがどうしようが、
そんなこと、どうでもいい、という感覚になるので、
「ああ、うまく行った、ラッキー!やったあ!」
というふうな〝トクした感〟がないのが残念である。
というわけで、今、
上海のホテルのラウンジでこの文章を書いている。
海外出張に行くとなると、目的地へ着くまでに、
様々な作業をクリアしなければならない。
書類やケータイの充電、現地の気温などを確認し、
なるたけコンパクトに荷物をまとめて家を出る。
バスと電車を乗り継いで、空港まで向かう。
チェックインカウンタでボーディングパスをもらい、
セキュリティを抜け、イミグレをパスし、
搭乗口で並んで飛行機に乗って、現地に着くと、
またイミグレを抜け、タクシーの列に並んで、
ホテルへ向かい、部屋にチェックインする。
普段なら、この一連の作業の中で、
様々なプチハプニングが起こり、対処してゆくのだが、
もう、今回は、どうやって上海まで着いたのかを、
覚えていないくらい、いつの間にかたどり着いた。
たぶん、
プチハプニングは設定どおり起こっているのだろう。
だが、それにまったく引っかからない状態。
何があっても、どんなことが起こっても、
全部聖霊に任せようという、
莫大な委ねた感の中にいるのが日常になっている。
もし、突然、暴漢に襲われて怪我をしたとしても、
ただヘラヘラ笑っているだけかもしれない。
もう、誰かに罪があると思えなくなっている。