香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

神様!もう少しだけ…



大阪の実家にいる。

日本に帰ってきて一番に感じたのは、

「うわ。空気澄んでるなあ。」である。

街の景色が遠くまで、はっきり、くっきりと見える。

太陽の光もクリアで、明るく輝いている。

いつも霞がかったような香港から日本へ来てみると、

急に視力がよくなったような錯覚に陥るのだ。


あっ、そういえば、去年の今頃は鹿児島にいたんだ。

今年は、奈良ホテルでお籠りする以外は、

実家で、なるたけ両親のそばにいるつもりである。

年老いた両親が心配だから、と言うのではなく、

〝情〟として両親と接していられるうちに、

そういう繋がり方をしておこう、と思ったのだ。


というのも、これまで、

日常の様々な外的活動の中から紡ぎだされてくる

葛藤を観つめ、赦しながら、聖霊に委ねていたのだが、

ここへ来て、

そういう外的活動に対する意欲自体が失われはじめ、

直接神の世界だけに浸っていたい、神以外要らない、

それ以外は全部ガラクタだ、という想いが増強され、

仕事、創作活動、衣食住のこだわり、などと言った、

肉体を使って行なう全ての活動に対する意欲が、

神への想いへと変換されていっている感じなのだ。


なので、ごくごく近い将来、僕は確実に、

両親や友人たちと〝情〟を通して交流したり、

文章で何かを表現したり、食べたり飲んだり、

または、どこかへ行って何かをする事に対して、

感動や意義を見出せなくなっていくと思われる。

日常の赦しの実践をテーマに始めたこのブログも、

正直、日々の出来事をレポートすること自体が、

次第に難しくなってきている。

これまで、

男おばちゃんネタや、会社すったもんだネタや、

筋トレネタ、など、半分ネタで書いていた事柄が、

正直、会社で何が起ころうと、無一文になろうと、

痩せようとマッチョになろうと、花粉症で苦しもうと、

そんなことはもうどうでよいこと、と感知されている。

実際には、肉体としての習慣を放棄すればするほど、

実相を感じて平安は増加していっている。


それゆえに、

まだ、いろいろ欲しいものを買ったり、筋トレしたり、

小説やブログを書いたり、どこかへ行ったりする事に

〝ギリ〟興味を感じられているうちに、

書くべきことを書き、することをする構えである。


だって、

何を見ても、そこに神しか見れなくなれば、

何も書くことはなくなってしまうし、

誰かに教えたり、伝えたり、何かを追求しよう、

という意欲すらなくなってしまう。

そして、実際にそうなりつつある。

というのも、幻想の世界の中でも、今の僕は、

〝終わってゆく物語〟そのものだからだ。

香港事務所でも、

新しく入ってきた会計の女の子が1週間で辞め、

シッピングのアップルさんからも辞表が出てきた。

もう、ここまでくれば、

「はい。分かりました。もう何もしません。」と、

両手を上げて降参状態でいるしかない。

で、何にもしなかったら、

会計全般をいまの会計事務所へ任せてみては、

という元コンババ部長のアドバイスに〝はい〟と従い、

シッピングもエドワードに任せることにして、

新たに人は雇わないことになった。

なので、来月からは、

僕とエドワードと総経理の3人体制となる。


そうこうしているうちに、

僕に東京勤務の話が再浮上し、

そうなれば、香港の生活、友人、筋トレ、など、

これまで慣れ親しんだ全てを手放すこととなる。


もう、顕れるままに放っておく。

もう、神の国だけでいい。


聖霊兄貴からは、全部諦めて任せろ、

そうすれば、神の国へ連れ帰る、

というメッセージが、ひっきりなしに送られてくる。


開放はもう間近だ。意欲もある。

しかし、僅かに残っているエゴの自分の心境を言えば、

〝神様! もう少しだけ〟(深田恭子風)

というのが正直なところである。