香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

花を見に来て花を見ず



昨日は小学4年生の姪っ子が遊びに来たので、

お弁当を買い、裏の桜堤へ2度目の花見に行った。

姪と一緒にバトミントンをし、裸足で川に入り、

お弁当を食べながら、いろいろして遊んだ。


ここは昔から、町内の人が静かに桜を楽しむ場所で、

場所取りをして大宴会をする人や、外国人もいない。

もちろん、

ライトアップもなければ、簡易トイレもない。

皆、散歩がてらやってきて、手弁当を食べながら、

しばし桜の下に佇ずみ、帰ってゆく。

また、背広を着た営業マンが昼寝をしていたりする。


姪っ子は元気いっぱいに飛び回っている。

聞けば、毎日、塾、英語、水泳、ピアノ、と、

木曜日以外、遊ぶ時間が全くないのだとか…。

川は浅瀬だとは言え、かなり流れが速いので、

はしゃぎまわる姪から、一時も目が離せない。

途中、ジイジとバアバ(僕の両親)が来たので、

やっとバトンタッチし、僕は休憩モードに入った。

仰向けに寝て、桜を真下から見上げれば、

視界全体が美しい桃色の幾何学模様一色となった。

しばし、静寂の中で、じっと内なる神を感じてみる。


しばらくして、ふと周囲を見てみると、みんな、

お喋りや、川遊びや、飲み食いに夢中となり、

桜なんてほとんど見ていないことに気づいた。

ひとりで来ている人も、音楽を聞いたり、

スマホを見たり、本を読んだりしているが、

頭上の桜は見ようとしない。

まるで、故意にサクラを避けているかのように、

「ああ、サクラだね。きれいだねえ。

 でさ、この前、誰々さんとさ…。」という感じだ。


僕達は、

静寂を恐れるようにプログラミングされている。

静寂を受け入れてしまえば最後、内側へ意識が向き、

この世界がウソだとバレてしまう。


だが、問題は花見をしている人達にあるのではない。

問題は、花見に来ている人達を見て、

あの人たちは静寂を恐れている、

と感じている自分の心の中にある。そこを観てゆく。


自分の心の中の罪悪感を花見の人たちに投げつけ、

あの人達はなぜ花見に来て花を見ないのか、有罪だ、

とやっている。実際に静寂を恐れているのは、

他者に自己の罪悪感を投影している僕自身なのだ。


もう僕はこんなの要らない。ほんとうに要らない。

と、聖霊兄貴に全て委ね、ただ〝逝く〟に任せる。

家に戻り、夕飯を食べ、

妹が姪っ子を向かいに来るまでの少しの間、

仏間で姪を相手に〝ボールあてごっこ〟をした。

ゴムボールをただ当て合うだけ、というものだが、

途中、父自慢のカメラのコレクションを入れた、

四角いガラスケースに僕がぶつかり、

中に並んでいたカメラをいくつか倒してしまった。

カメラの位置を戻そうとしたが、鍵がかかっている。

その時、ケースの奥に、紙の束のような物が見えた。

もしやと思って近寄ってみると、やはり現金だった。

父がカメラの後ろにこっそり隠していたのだ。

それで、姪が帰った後、父を呼び事情を説明すると、

父はケースの鍵を開け、中のお金を取り出すと、

「何でこんな所に金があるんや。」と首をかしげた。

全部で20万円あった。

どうやら、このお金は、僕が毎回、里帰りする都度、

渡しているお小遣いを貯めていたもののようで、

父は、ここに現金を置いたことを忘れ、それで、

もらった金が無い→母が盗んだ、となっていたようだ。

現に父は、財布にお金が無くなるたび、

母に悪態をつきながら銀行へお金を下ろしに行く。

もし、ガラスケースの現金のことを覚えていれば、

わざわざ銀行へは行かないはずである。


まあ、起こった事実だけを書けばこんな感じなのだが、

ただこれも、起動したプログラムが顕れているだけで

やっぱり、父も母も無罪である。


また、カメラの奥に隠されていた現金が、

隠蔽した罪悪感の象徴のように感じられ、笑けた。

忘れ去られていた現金(罪悪感)は、

突然の衝撃によって光にさらされ、

びっくりしてちょちょまっている。


再度、父と一緒に、カメラの後ろへお金を戻し、

倒れたカメラを並べ直して、ケースに鍵をかけた。

そして父はまた、ここにお金(罪悪感)があることを

忘れてしまうのだろうか。


もし、忘れていたとしても大丈夫。

僕が何度でも思い出させてあげるから。

次、里帰りする時が楽しみ!(笑)