↑ ゲームする姪っ子。〝花見しにきて、花を見ず〟
今の僕たちの姿を象徴する画像。
前回、お伝えした通り、
香港事務所では次々と人がいなくなっているのだが、
シッピング担当のアップルが会社を去ったあくる朝、
彼女から〝退職のご挨拶〟のメールを受け取った。
今までお世話になりました、的な文章の後、
同僚たちの名前が太字で書かれてあったのだが、
僕の名前だけが太字になっていなかった。
また、みんなの顔写真とイラストの胴体を加工した、
記念の盾をエドワードに送っていたのだが、
僕のイラストだけがなかった。
どういう意図で彼女がそうしたのかは不明だが、
やっぱり、もやもやしてくる。
〝僕は彼女に嫌われていたのかな。〟
〝そう言えば、彼女に仕事のことで注意したな。〟
〝病気休暇が多すぎることも注意したっけ…。〟
色々な妄想が頭をよぎる。
ただし、いまはもう、
その感情自体と同一化することはなくなった。
これは単なる自我の自動反応であり、
自己が追いやった罪悪感が投影されているだけだ、
ということは自覚できているので、ただそれを咎めず、
みぞおちの辺りで疼いているモヤモヤを観察してゆく。
彼女がどうであるかは一切関係ない。
それが相手から嫌な事を言われたり、疎外されたり、
どんなバリエーションであっても、感じているのは、
みぞおちで疼いている〝この感覚〟しかない。
これは、頭痛や胃痛と同じ、身体的感覚に過ぎない。
これに、外的状況からくる意味づけを結び付け、
「自分は傷つけらた!」とやっている。
聖霊兄貴と共に、
この、みぞおちのもやもやに焦点を合わせ、
まるでレーザービームを照射するかのように、
深くその中へと入りこんで、とことん感じて観る。
その時、気づきが来た。
これはひょっとして、アップルという兄弟が、
僕にこの事を気づかせ、赦させる(終わらせる)為に、
わざわざ仕掛けてくれたのではないか。
これは、彼女が、退職するにあたって、僕にくれた、
最後にして最高のプレゼントだったのだ。
なぜなら、ここで彼女が仕掛けてくれていなかったら、
僕は赦すこと(終わらせる)ができず、
また、いつか、第二のアップルを相手に、
同じことをする羽目になる。
その事に気づいた時、この毒素のようなモヤモヤが、
一瞬にして感謝の光に変わり、涙がどっと溢れた。
このとき、もしエゴ目線で今回の事を見ていたら、
きっと僕は彼女に傷つけられたと思い、
深く動揺し、架空の彼女を相手に、
延々妄想劇場を続けていただろう。
それに、よく考えてみると、
そもそも、今回の事は全て僕の誤解から発生している。
フォントを太字にするのを忘れただけかもしれないし、
たまたま僕の写真がなかっただけなのかもしれない。
結局、どうしてその人がそういうことをしたのか、
なんて、誰にもわからないことだ。
多分、アップル自身にもわかっていないだろう。
この夢の世界は、全部が全部、誤解でできている。
ほとんど、とか、大部分が誤解、ではない。
全てが誤解である。
なので、正しくあろうとするなんて馬鹿げている。
僕はもう、とっとと手放して、心の平安へ戻る。