彼の生徒さんたちが一堂に会し、食事会をした。
トレーニングは普段、一対一の個人セッションなので、
他の生徒さんたちと会う機会なんてほとんどないため、
こういう集まりは本当に貴重なのだ。
参加者は全部で15人、全員日本人だ。
家賃の高騰で、
日本人がどんどん減少している香港にあって、
これだけの人数が一堂に会するのはすごいことだ。
金融界で活躍している女性あり、起業した女性あり、
僕のような駐在員の方あり、飲食業の方あり、で、
お酒を飲みながら、本当に楽しいひと時を過ごせた。
特に、香港で活躍されている日本人女性の方々は、
バイタリティに溢れ、話題も豊富で、視野も広く、
話していても、本当に楽しかった。
というわけで、溢れ出す愛が止まらない。
自分の中が愛で満たされていると、
怒りや、憎悪や、咎め、は自然と出てこなくなる。
なので、怒っている人はきっと、愛を欲しているのだ、
と、ここでやっと〝愛を求める懇請〟の意味が、
無意識レベル(感覚レベル)で腑に落ちてきた。
で、今日『君は海を見たか』の最終回を見た。
男の子が病魔に苦しむシーンは一切出てこず、
ただ淡々と、萩原健一扮する父親の目を通して、
〝生きているということ〟の意味を炙りだしてゆく。
で、思った。
僕たちは、今をもっと惜しむべきなのだ、と…。
惜しみながら今を見送ってゆくべきなのだ、と…。
桜が舞う様や、雨の音や、おにぎりの味や、
友人の笑顔や、旦那の一言や、子供の声など、
もっと注意深く、しっかり見つめるべきなのだと思う。
僕達は、本当は〝愛〟であるものを、
いとも簡単にスルーしすぎている。
故障ばかりする自動車、美味しくない料理、
全然好きじゃない洋服、全然好きじゃない職場、
ケンカばかりしているパートナー、
不当に扱われている自分、無責任な社会、
本当にそうなのだろうか。
ひょっとして、僕たちは、
本来愛であるものを、そうじゃないものとして、
扱っているだけなのかもしれない。
だから、ちゃんと直視しなおさねばならないのだ。
こんなことを言えば、ちょっとアレなのだが、本当は、
聖霊を選んでいるから愛が溢れてくるのではない。
もともと、僕達は愛以外ではあり得ないのだ。
今を見つめることは、愛を確認する行為でもある。
そして、それは、
自分の中に愛があると確認する行為だとも言える。
〝世界は無いんです。始まってすらいないんです。〟
〝肉体は存在すらしていないんです。〟
だからといって、
世界や他者を無視してよいということにはならない。
僕たちはまず、見えている光を、しっかりと見とめ、
聞きとめることによって、それらを愛の光へと、
変換していくことから始めなければならないのだ。
(以下の文章は、2005年に日本テレビが放送した
ドラマ『女王の教室』最終話より、
天海祐希扮する教師、阿久津真矢のセリフである)
『イメージできる?
私達の周りには美しいものがいっぱい溢れているの。
夜空には無数の星が輝いているし、すぐそばには、
小さな蝶が懸命に飛んでいるかもしれない。
町に出れば、
初めて耳にするような音楽が流れていたり、
素敵な人に出会えるかもしれない。
普段見ている景色の中にも、時の移り変わりで、
はっ、と驚くようなことがいっぱいあるんです。
そういう大切なものを、
しっかり目を開いて見つめなさい。
耳を澄まして聞きなさい。全身で感じなさい。
それが生きているということです。
この年齢の今しかできないことを、
一生懸命にやりなさい。
今しかできないことがいっぱいあるんです。
それをちゃんとやらずに、
将来のことばかり気にするのはやめなさい。
そんなことをやっていると、
何にも気づいたりしません。』