香港さんといっしょ! 奇跡講座(ACIM)と純粋非二元

欲望都市香港で奇跡講座を実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

時間を友とする



今朝、ものすごい騒音と共に目覚めた。

お隣さんが内装工事を始め、壁や床を、

電気ドリルで打ち壊しだしたのだ。

ガガガガガーッ、と心臓を逆なでするような音に、

いてもたってもいられず、パソコンと奇跡講座を手に、

近くのパシフィックコーヒーに逃げ込んだ。


とびきり濃ゆいエスプレッソを飲みながら、

しばし、奇跡講座を読み耽る。


『気がかりや不安や心配がなく、いついかなるときも

 凪のように穏やかでいるとはどのようなことかを、

 学ぶためだけに時間はある。』

『今この瞬間を取り上げ、

それを存在する時間の全てだと考えなさい。』

(奇跡講座第15章『聖なる瞬間』より意訳抜粋)


いま、僕の中で〝聖なる神の子〟であることを、

全面的に受け入れる準備が着々と進んでいる。

それは、垣間見のような〝悟り〟ではなく、

現実の時間の中で行なわれている。

自分が完全であり、何も必要としていないことを、

受け入れる為に時間が使われている。

それから、最近、とみに感じるのが、

隠された心(自己概念A)の存在である。


おそらく、奇跡講座を実践されている方であれば、

この夢の世界から目醒めることを決めているか、

と訊かれれば、何の迷いもなくYESと答えるだろう。

にもかかわらず〝そうならない〟のはなぜなのか。

そこには、裏で作用している

〝隠された無意識の心〟の存在がある。


いくら、この星谷周作という表面の意識が、

自分は聖なる神の子で完璧な存在だと信じたとしても

罪なんかない、世界はない、と心底思ったとしても、

父が待つ故郷へ永遠に帰還する、と決めたとしても、

その裏にある〝隠された心〟は、

目醒めて父の下へ戻りたいとは微塵も思っていない。

感電した猫のように、幻想の罪悪感の中で怯えている。


↑ 加藤三代子氏のDVDより
だが、隠された心は他者の中に顕われている。

いくら、愛だ、赦しだ、神だけだ、と言ったって、

本当は自分がどんなものを隠蔽しているかは、

他者がどんな状態に見えているかで容易に解かる。

他者が全然目醒めていないように視えるなら、

それは〝裏の自分〟が目醒めたくないのである。

他者が腹立たしい存在に見えるなら、本当は、

〝隠された心〟が平安を望んでいないのである。

だから、他者を攻撃したい、他者にイラつく、

世界が腹立たしい、という気持ちに駆られるとき、

それを解放すること(赦すこと/聖霊に委ねること)で、

隠された心の中にあるものを解放することができる。

あとは聖霊が全てを取り消してくれる。


なので、自分が見ている現実世界は、

自分の隠された心の中そのものであり、

体験しているあらゆる事柄は、

自分の心の中を体験しているのだ。

要するに、隠したつもりでも、実際には、

ちっとも隠されてなどいなかったというわけである。

なので、見えている現実を使って赦してゆくことは、

隠された心が信じているものを取り消してゆく、

大変有効な手段だと言える。

そのために時間が使われるなら、

時間は天国へ帰還するための一番の味方となる。