香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

神の意味づけ


↑最近、バーチャル感がハンパない。
 まるで、プラモデルの世界にいるみたいな感覚。


毎年、お盆前のこの時期になると、

目まい、頭痛、耳鳴り、眠気、だるさ、に襲われる。

こめかみのあたりがジンジンして、とにかく眠い。


そんな、フワフワと宙に浮くように暮らしている僕に、

トレーナーが、更なる体脂肪率減少を図るため、

130キロのレッグカールをメニューに組み入れた。

結果、常にお尻や太腿が、コリコリと筋肉痛状態で、

階段を上る時も、お年寄りのように体を曲げ、

一歩一歩、手すりに掴まりながら上らねばならない。


トレーナー氏いわく、脂肪を落とすには、

内腿やお尻を鍛えるのが一番手っ取り早いらしく、

鼠頸部には、成長ホルモンを出す褐色なんちゃら、

という酵素があって、そこを活性化させることで、

若い頃のように、食べても太らない体になるという。

最初は半信半疑だったが、やってみたら、

本当に短期間で、尻や腹がきゅっと引き締まった。


こうやって、トレーナーに付いて肉体を鍛え始めて、

かれこれ一年三ヵ月が経過しようとしているが、

当初は、だらしない体型を何とかしようと、

何気なく始めたこの試みも、最近は何と言うか、

〝自分は肉体ではない〟ということを認識するために

やっているようなところがある。


〝肉体はない〟〝世界は無い〟〝時間は幻想だ〟

〝他者など存在しない〟〝何も起こってない〟

スピでは、常套句のように使われている言葉だが、

あると思っているその思い込みを解除してゆくには、

まず、これらの対象物とちゃんと向き合う必要がある。

身体で言えば、痛みや苦痛などの知覚に対して、

逃げずにしっかり対峙してみるのだ。


そんなわけで、

僕のお尻の筋肉痛も、当分続きそうである。


↑香港では、各社の朝刊はすべて無料で配られる
話は変わって、日々、

〝自分自身を訂正に開いてゆく。〟

という言葉を噛みしめている。

本来は何の意味も持たないこの外界世界を、

自分の意味づけで満たすことで、

世界を自分のものにしようという、

無意味で不毛な行為を放棄してゆく。


自分で世界を意味づけしなくなると、

中庸で意味のない世界は、

自動的に神の意味づけで満たされてしまう。

これが最大の恐怖だった。


例えば、

誰のものでもない、まっさらな土地を発見したとする。

そして、この土地は自分が最初に見つけたのだから、

自分が所有する権利があると考える(意味づけする)。

しかし、このままでは、他の誰かに奪われてしまう。

そうなる前に、大急ぎでこの土地に家を建て、

石の壁で周囲を覆い、様々なルールを決めて、

ここは自分の土地だと主張しようとする。


僕達は、毎日毎日、毎瞬毎瞬、

これと同じようなことを、神に対してやっているのだ。

このためだけに、ものすごい労力を使っている。

少しでも気を抜けば、

世界は神の意味づけで満たされてしまうからだ。


「もういいや。自分は神の平安を選ぶ。」と、

自分(自我)が世界に与えてきた、

無数の奇妙でへんてこりんな意味づけを、

じゃんじゃらじゃらじゃら、と、

全て神へ返還してゆく。

そうやって、世界を、

自分が意味を持たせる前の状態へと戻してゆくのだ。

まっさらに還った世界に、

神の意味が書き込まれるのを受け容れるのだ。


世界をただ受け入れ、流れるままに消えてゆかせる。

無意味な世界を無意味なままにさせておくことで、

神の意味づけが書きこまれるに任せる。

そしてそれがいまの僕にとっての赦しとなっている。

もう、何度も書いているが、

いま僕の中で、毎日のバスと電車の通勤時間が、

聖霊と対話する〝神聖なひととき〟となっている。

この時間に、様々な気づきが訪れ、

様々な意味づけ(思い込み)が解除されていっている。


スマホをいじる、音楽を聴く、本を読む、食べる…。

一人になると何かをせずにはいられない僕たちだが、

もう、ここから永遠に去ろうという人たちにとって、

一日の中で、たとえ30分でも、

自分の意味づけで時間を満たそうとするのをやめ、

一人静かに、

自分の中の神と対話する時間を持つことは、

とても、とても、大切だ。


僕たちは、

聖霊に少しの時間を提供するのを惜しんではならない。