奇跡は続き、今週も、香港でお仕事である。
小切手を切る、財務諸表を確認する、報告書を書く、
出張の手配、会計士や弁護士とのやり取り、など、
次々とやってくるデスクワークをこなしながら、
大量の業務メールに返信を返してゆく。
会計士からの、記帳代金の支払いはいつになるのか、
という督促メールに、増値税還付手続きが終わらないと、
代金は支払えない趣旨の返信をする。
株価がいくらになったら売りを再開できるのか、
というコンババ部長からの問いに、
いくらいくらになったら再度検討しましょう、とメールする。
また、請求書の金額が違っている、というクレームには、
すでに正しいものと差し替え済みだ、と返す。
これ以上でもこれ以下でもない返信を乱打していた時、
はっ、となってキーボードを打つ手が止まった。
「ああ、これ全部、自我の思考で自動的にやってる。
まるで電気信号のように、無意識に動いている。」
他の仕事をしている人も多分そうだと思うのだが、
仕事をしている時って、大概、
こういう場合は、こういうふうに対処する、とか、
こう言ってきたら、こういうふうに返す、というように、
あらかじめ身についた経験値で自動的に動いている。
普段のプライベートな自分だったらこんな事はしないし、
言わないのに、いざ仕事となると、
まったく別人のような言動を取れたりする。
それも、何の無理をすることなく、自然に…。
いわゆる、仕事モード、というやつだ。
これまで僕は、仕事の内容はあまり重視せず、
仕事を通して対峙する兄弟との赦しをメインにしていた。
そのため、仕事そのもののやり方については、
全て聖霊の中で起こっていることだとして、その都度、
湧きあがって来る〝ふっ〟に任せて判断し行動してきた。
だが、ここへきて、仕事ではこうするのが当たり前、
という、自分で決めたルールを、仕事中にだけ適用し、
ルーチンのように遂行していたことに光を当てはじめた。
その仕事モードが見せる自動反射的行動はまさに、
偽りの解決方法そのものだった。
〝あなたは依然として自分で心を決めている。
そうしておいて、その後で、
自分が何をすべきか尋ねるという決断をする。〟
(『奇跡講座』第30章-Ⅰ.決断のためのルール)
本当にそうだと思う。
それも、無意識のなかで、自動反射的に決断している。
仕事も職場も幻想であり、終わってしまった夢である。
そう、もう全ては終わっているのだ。
どう対処したとしても、それには何の意味もない。
要するに、
仕事も、職場も、人間関係も、何も起こっていないのだ。
始まる前から終わっている世界で、
対処することに一体何の意味があるというのだろうか。
もう、自分が外へと追いやった罪と格闘することで、
これ以上、悪夢を長引かせたくない、と心底思った。
多分、これからも普通に仕事をしてゆくだろう。
それでももう、終わっている世界の中を生きている。
そこには、
これは自我の考えだ、という判断(認識)すら存在しない。
愛の想念か、愛を求める要求か、どちらかでしかない。
それが真に聖霊の中に在る、ということなのだ。
そのことに気づけて、本当に嬉しい。
自分は狂っていて、何も解らず、何をやっても失敗する。
その事を全面的に認め、聖霊に白旗を挙げて何もしない。
これを、会社の業務でも適用し始めている自分に、
ちょっと、いや、かなりドン引きしている。
自我の常識で行けばそんなの絶対に無理だし、
特に会社員がそれをすれば、業務が破綻する。
でももう、一秒だって聖霊でない時間を過ごしたくない。
ひょっとして、これまで赦しが完結するごとに、
僕の眼前から消えて行った、無数の会社兄弟たち同様、
いまの仕事まで消えてしまうのか。
こ、こわい。