今日は春分の日、フィリピンのマニラにいる。
春分の日や夏至の日には、宇宙のゲートが開く、とか、
強烈な光が降り注ぐ、などとスピではよく言われるが、
これって、コース的には、忘却のベールに裂け目ができ、
心の中へ向かうゲートが開く、ということなのではないか
と、ふっ、と思ったりした。
というのも、今朝、マニラに向かう飛行機の中で、
今日は春分の日で、波動が急上昇する日なのだから、
現実的に、こうなったらいいな、という願望を、
宇宙にお願いしてみよう、というスケベ心が出て、
ジンジャー・タウンを日本で出版したい、とか、
自由で豊かに暮らしている自分を想像してみたのだが、
どうもイマイチ集中できない。
で、最後にバーンッ、と出てきたのが、
自分はもう、天国の平安しか要らない、
神の平安だけを望みます、というものだった。
だって、この世の願望は全部〝程度の差〟に過ぎず、
幻想の形態がAからBへと変化しただけである。
それであれば、永遠の平安だけを選びたい、と思った。
この世での願望は全て、いずれは無となるものである。
素敵な店で食事をした、好きな人と時間を共有した、など
どんな願望が達成されたとしても、即行、記憶に変わる。
要するに、いずれ無くなる幸福を求めている、すなわち、
自分は〝不幸を幸福だと思っている〟ということなのだ。
このことを、マニラ行きの機内で強烈に自覚したとき、
もう、自分は神の国の平安以外必要ないと実感できた。
↑ 戸川純の『パンク蛹化の女』で酔っぱらう
夜、仕事を終え、ホテルのラウンジで、
もりGさん主催の、思考の逆転勉強会、に参加する。
赤ワイン、白ワイン、ドライマティーニ、ジンソーダ、と、
言えば、どんなお酒でも持ってきてくれる。
幻想を越えてゆく、というブレのないもりGさんの講義が
天国だけを望むという僕の願望と相まってガンガン入る。
美味しいお酒、もりGさん、空禾さん、コース兄弟たち、
ああ、しあわせ!
という感じで過ぎてゆく2019年春分の日でした。