香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

君は神を見たか!

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これまでの赦しは、様々なびゅんびゅんを原因まで運び、

 

そこから聖霊と共に自我を直視して選び変えていたが、

 

最近は、決断の主体と常に一体になっている状態から、

 

世界を観ていられるようになってきた。

 

なんていうか、決断の主体へ戻る、という感じではなく、

 

決断の主体と一致している、という感覚なのだ。

 

その結果、次々と目の前に顕われて来る人や事柄に、

 

深い感謝と慈愛が溢れ出す、という体験が起きている。

 

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前回〝自分は不幸を幸福だと信じている〟と書いたが、

 

このことに心底気づいて、もう神の平安だけでいい、

 

と、そこにカチッ、と一致して日々過ごしていると、

 

心の中が自然と聖霊に凌駕され、あらゆるものに対し、

 

無条件に有難いような、わけもなく嬉しいような、そして、

 

春先などに感じる、ワクワクソワソワ、心躍るような、

 

なんとも形容しがたいエクスタシーに包まれる。

 

 

聖霊の眼差しを通して、いまここに在る兄弟を観る。

 

すると、一点の咎めも無い無実の存在と認識され、

 

そこから、感謝と慈しみの気持ちが噴出してくる。

 

この世的な好い事など何も起きていないにもかかわらず

 

心は大きな喜びと共に、深い安らぎに包まれている。

 

これは、仕事でちょちょ舞っている時でさえそうであり、

 

起きている状況とは全く関係なく起こる。

 

 

そうやって、いまこの瞬間だけに感謝し続けていると、

 

後の事は自然と聖霊が面倒を見てくれるから不思議だ。

 

〝そう〟なる前に必ず〝そう〟なることが分かるのだ。

 

要するに、いま在る光への感謝が、未来に延長される。

 

 

僕も、日常生活の中で、24時間常に1ミリのブレもなく

 

〝そこ〟にいられるわけではないが、

 

少しでもハートに触れ、無罪性を目撃してしまうと、

 

もう、間違った幸福と同一化できなくなる。

 

そして、ニセモノの幸福を少しでも信じている間は、

 

絶対に終われないと解かる。

 

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そんなこんなで日曜日の〝いま〟をゆるゆると過ごす。

 

トーストを食べながら〝サンデージャポン〟を見たあと、

 

〝上沼恵美子のクギズケ!〟を見る。

 

それから、ジムに行こうと思っていたら、

 

急に睡魔に襲われ、しばしベッドで爆睡してしまった。

 

 

後頭部がじんじんと痺れ、ベッドに沈みこむような、

 

心地よい眠気が、上げ潮となって満ちてくるのを感じる。

 

 

過去でも、未来でもなく、まさに〝いまこの瞬間〟に、

 

真の平安はあるのだと実感しつつ、眠りに落ちて行った。