↑ なんと、ソメイヨシノがまだ咲いていた!
週末の大阪はとても風が強く、肌寒かった。
それでも、実家の近くを散策すれば、緑は息吹き、
土手には様々な花が咲き誇っていた。
八重桜などの桜もまだ残っていて、うれしかった。
父も母も穏やかな毎日を過ごしている。
赦すべき葛藤が何も浮上してこない休日…。
この現実世界で起きているあらゆる事象が全くの夢で、
存在していない幻影だ、と、赦しをするごとに、
何度も認識され続けてくると、
本当に〝ここ〟が、ただの投影の場だと解かってくる。
やがて、この投影は全て心から来ていることに気づき、
心の中の投影の元ネタ(葛藤や罪悪感)を、
聖霊の中で見つめることを続けるうち、
次第に自覚し始めたのが〝神の子の自分〟だった。
自分が完全で全く欠けた部分のない、全てを与えられた
天国で神から100%愛されている神の子だった、
という知覚がじわじわと芽生え始めたのだ。
ただ、肉体としての個の自分が神の子である、
というのではなく、何ていうか、それは、
自己も他者も含んだ、全包含的な視点での認識である。
全てを包含した中では、自他の区別は無く、
どちらが与えても受け取っても同じだと感じられてくる。
例えば、誰かに一万円を支払ったとして、
そこに惜しい、減る、という感覚は無く、
自分が自分に与えているような感じで、
それ以外には何の意味もないように思えてくるのだ。
分離の反対語は〝繋がる〟であるが、
それは、数珠のような繋がり方ではなく、
全てがひとつの点に包含されているような感覚で、
言葉にすれば、なんていうか〝共有〟に近い。
意識の中に、この〝神の子の認識〟が生まれてくると、
幻想に価値を置くことなく、幻想を直視できるようになる。
まあ、僕もまだまだ、練習を必要とする身なのだが、
〝神の子の自覚〟が芽生えたことで、
自我への恐れがなくなり、自我を自我として観る。
↑ 全日空の安全ビデオが歌舞伎仕立てで面白い
帰りも全日空で香港へ戻った。
10連休ということで、関空は人でごった返していた。
機内の乗客のうち、9割が日本人だった。
後ろの席にいる、3、4歳くらいの小さな男の子が、
おしくらまんじゅう、おっしー、おっしー、と歌いながら、
「シートベルトを着用願います。」といった機内アナウンス
が入るたびに、はい、と返事するのがなんとも可愛く、
そのたびに幸せな気持ちが溢れてきた。
↑ 大山鶏のカツカレー。食事はJALよりANAが好きかも。
機内が寒くなければイケイケキャセイも好き。
(↑ おーいっ!どんだけ序列や!)
機内では、ワインを飲みながら、ゲイリーの4冊目、
イエスとブッタがなんちゃら、という本を読んで過ごした。
教科書的なワプニック氏の本とは対照的に、
ゲイリーの本にはある種のユーモアと明るさがあり、
J&Bの転生の物語も非常に興味深く、面白かった。
というわけで、自分はもう、何の遠慮も無く、
神の子として存在していいのだ、という自覚が芽生えた、
今回の日本滞在であった。