香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

内側ライフ

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前回の記事で、

 

聖霊が本来の自分の姿だった、と思い出すために、

 

聖霊から学んでいると書いたが、それはもちろん、

 

心の内側へ入ることで学べる。

 

 

まだまだ完全ではないけれど、

 

最近、意識が心の方に向いている時間が長くなった。

 

仕事のメールに返信を書いている時でも、

 

同僚と来期の予算について打ち合わせている時でも、

 

今月の出張スケジュールを立てている時でも、

 

内側に留まりながら、普通に生活できるようになってきた。

 

別の言い方をすれば、内側で生活している、という感覚か。

 

 

外側と内側が反転しはじめると、

 

外側で起きているように見えていることが、

 

本当は内側だけで起きているように感覚化されてくる。

 

外側の世界が消滅したり、

 

世界が夢のように見えたりする、のではなく、

 

外側も、内側も、どちらも内側のように思えてくるのだ。

 

 

少し緊張しながら、会議で発表している時の心の中、

 

相手の一言で勝手な妄想劇場に走っている時の心の中

 

楽しかった時の事を思い出してニヤニヤしている心の中

 

夜、好きなことをしながらくつろいでいる時の心の中、

 

そうやって、心の中にふっと湧き出す想いを、

 

じっと直視しながら聖霊に差し出していると、だんだん、

 

心の中が聖霊みたいになってゆくのを感じる。

 

 

例えば、

 

満たされた愛の感覚や、何かをやり遂げた達成感などは

 

自分が望み選んだのだ、と容易に信じることができるが、

 

大切なものを失った時の喪失感や恐れに対しては、

 

自らそれを選択したのだ、とは思い難い。

 

 

それでも、内側を見つめ、

 

聖霊に差し出す実践を続けていると、

 

うれしい、幸せ、感動、平安、やすらか、といった感覚と、

 

悲しい、失望、ドキドキ、緊張、恐怖、という感覚は、

 

全く同じものだ、ということが腑に落ちて分かってくる。

 

それらは同じ所からくる同一のものなので、

 

どちらもひとつの心が選んだものだ、と納得できる。

 

 

こうなっている自分も、こうなれていない自分も、

 

全部、分離から来ていて、その分離は自分で選んだ、

 

というひとつの信念へと行きつく。

 

その心の内側で行なわれているここを、

 

聖霊兄貴と共に、じっと凝視してゆく。

 

 

そうやって、安らかさも、緊張感も、聖霊へと運ぶ。

 

なぜなら、それは同じものだから。

 

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というわけで、代休が3日も溜まっていたので、

 

今日(金曜日)は休暇をいただくことにした。

 

来週月曜日も、お釈迦さんの誕生日で休みなので、

 

久々の4連休である。

 

香港はなぜか、イエスの誕生日も、ブッタの誕生日も、

 

祝日で休みとなる。

 

二人とも、生まれてくれて有難う!

 

 

今日はとりあえずジムで自主練をしたあと、

 

コーズウェイベイ(香港の渋谷)をぶらつくつもり。

 

 

なんせ、月末から、来月初頭にかけては、

 

日本の甲府→フィリピンのセブ→中国の杭州、と、

 

怒涛の海外出張が続くため、いま、十分休むのだ。