先週の水曜日、全社員が参加する会議があり、
僕も香港からスカイプで参加した。
まず、社長が来期に向けての指針を述べた。
「わたしは、これからは一切怒りません。
もし、わたしがイライラしていたり、怒っていたら、
社長、怒ってますよ、とわたしに注意してください。」
「愛のある優しい会社というのは、外面だけではなく、
身内にも愛と優しさがなければならないと気づきました。
人には優しく、仕事には厳しく、と言う人がいますが、
仕事で怒られて愛でいられる人などいません。
だからわたしは怒らないと決めました。」
と言うのである。
す、すげー!
一瞬、アセンションでも起こったのか、と思った。(笑)
社長、60歳、山梨生まれの山梨育ち、
元々優しい人ではあるのだが、少し短気な所があった。
でも、去年の10月、新会社に業務移管をして以降、
会社の雰囲気は格段に良くなった。
普通の組織ではごく当たり前に行われている、
〝防衛の為の攻撃〟をする人がいなくなったし、
別に、そうしろ、と指示が出ているわけでもないのに、
上司と部下の間でも、互いに敬語で話すようになった。
外界の世界には、
隠蔽された自分の心の中が投影されている。
隠蔽しているように見えても、実はすべてが眼前に、
むき出しとなってさらけ出されているのだ。
ある人が、我慢ならないことを自分にして見せたら、
その人は、自分の心の中そのものを代表しており、
誰かを批判したくなれば、その誰かこそが、
隠蔽している自分そのものの〝想い〟だということだ。
ここが、見えない自分の心の中の写し絵であるが故に、
相手が本当にやっているように見えることを通して、
自分の心の中を直視し、聖霊へ運ぶことで、
〝夢の中の兄弟〟ではなく、兄弟自身とつながるのだ。
そうやって、わたしはあなたとひとつであって、
分離していないひとつの心だ、ということを確認しあう。
その、和解された心の中に父が居る。
というわけで、今日は土曜日、4連休の2日目である。
一歩も家から出ず、コース漬けの一日を送った。
加藤氏の聖霊のレッスンCの講義を再読したあと、
奇跡講座26章を詳細におさらいした。
それから、ワプニック氏の音声を聞きながら、
昼食(ヨーグルトとキウイと鶏の胸肉)を食べた。
午後は、ゲイリーの四冊目を読み、瞑想をしてから、
決断の主体へと戻るまでに障壁となっている感情を、
聖霊へ運ぶ〝超強力大放出ワーク〟をして過ごした。
いつもは仕事や日常生活を送る中での実践が主で、
理論の勉強や動画の視聴も、
乗り物の中とか、カフェとかでやることが多く、
こうやって自宅で、集中してコースと向き合える時間は、
僕にとってはとても貴重である。
だが、これは週に一、二度だからよいのであって、
これが毎日続くと、逆に今度は、
〝コース漬け〟という夢を使って隠蔽を図ろうとする。
どういうことかと言うと、
来る日も来る日も、コースの勉強だけに没入し、
コースの中だけで1日が終わるような生活を続けていると
本人は学びが進んでいるように思っていても、実の所、
無意識のうちに、投影を抑圧してしまっていたりする。
例えば、
普段はコースな一日の中で平安に過ごせているのに、
普通の社会で赦しを実践しているコース兄弟なら、
すぐ赦せるようなほんの些細なことに遭遇しただけで、
ものすごく動揺してしまったりするのだ。
兄弟から次々にもたらされるレッスンを、
巧妙に(←ここ重要)避けるようになってしまうのである。
もちろん、没頭している本人はそのことに気づいておらず
そこを指摘されれば、多分、怒りだすだろう。
僕たちがコースで真理を学んでいるのと同様に、
自我もそれに対する対処法を学んでおり、
学びが進むほど、自我の巧妙さも増す。
そういう意味で、僕自身の心の中に顕われる、
〝やる気満々〟な兄弟たちには本当に感謝しかなく、
愛であり、頼もしい存在でもある。
夜は、夜気が心地よかったので、ベランダに出て、
ラムロックを飲みながら、小説を書いた。
うちは三階で、森がすぐそこまで迫っているので、
窓を開けていると、蚊、蜂、アブ、蝶々、蛾、
ムカデ、トカゲ、カナブン、カブトムシ、ホタル、
など、ありとあらゆる虫たちが飛び込んでくる。
しかし、電気の虫よけはつけなかった。
虫によって、何らかの危害を加えられる、
という概念自体がなくなっていた。
ただ、部屋に虫や蜂が迷い込んできたときは、
出られなくなると可哀そうなので、
全力で追いかけ、逃がしてやる。
聖霊兄貴は、
虫を恐れたり憎んだりするはずはない。