今日は、銀行まで、小口現金を下ろしに行ってきた。
秘書のケリーが退職してからというもの、
自分で銀行へ行き、自分でお金を下ろしている。
それだけでなく、歯医者の予約や、税金申告や、
航空券や、社用車の手配ですら自分でやっている、
なんだか、ここ一年で、
自分ひとりでできることが大幅に増えた気がする。
おっさん、成長しましたっ!
↑ 今年もドリアン祭りが来たよ!
心の中(決断の主体)へ戻って赦しをしてゆく際には、
起きている基となっている原因を直視してゆくわけだが、
僕の場合、幻想の〝罪悪感〟を見て光に晒したあとは、
赦した内容をさっさと忘れてしまうことにしている。
そうすることで、罪悪感など存在せず、世界は無である、
の中を生きていることになる。
どういうことかと言うと、
例えば、仲間内で、自分だけ、微妙に無視されていたり、
いつも損な役回りばかり押し付けられたり、
あからさまに不当な扱いを受けているとする。
そんなとき、心(決断の主体)に戻って、
自動的に湧き出してくる毒素のような罪悪感を凝視し、
〝これ、起こってないよ〟という聖霊の声を聴いたなら、
あとは、その事には一秒たりとも意識を向けないこと、
たとえ、兄弟が自分の目の前で、
どんなパフォーマンスを繰り広げていたとしても、
いったん心に戻り、間違った想いを聖霊へ捧げたなら、
その兄弟がやっていることには一切関知しない。
勝手にやってろ、くらいな感じで放っておくのだ。
それが、実践ベースでの世界を実在させない、または、
自我を断固拒否する、ことだと思うからだ。
ただ、ここで大事になってくるのは、
〝先に赦す〟ということだ。
世界は無い、こんな兄弟は存在すらしていない、
だけが先行してしまうと、せっかく出てきた罪悪感を、
今度は逆に抑圧してしまうことになる。
そうやって、抑圧されたものが再度世界に投影され、
それを見てまた「兄弟なんていないんだぁ」とやる。
というわけで、これからは、
世界を無視でもなく、誰かを否定するのでもなく、
無いものは無い、と、真に放置しておけるよう、
心を訓練することが、重要な鍵となってくる。
なので、一旦、即行聖霊のいる場所まで戻り、
本当の原因を直視したら、あとはもう、
相手が何をしていようと、
「ああ、はいはい。わかった、わかった。」
でいい。