香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

自意識過剰物語

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今週水曜日だったか、会社のトイレで用を足している時、

 

さっき、本社の管理部へメールで送った資料に、

 

不備があったことを〝ふっ〟と、想い出した。

 

それで、トイレから出たあと、すぐさま資料をリバイスし、

 

どこをどのように変えたかを書いて再度メールをした。

 

すると、しばらくして、管理部のある担当者から、

 

さっき送ったメールに対する返信がきた。

 

「書いてある意味が全く分かりません。

 

 忙しいのは分かりますが、もっと丁寧に書いて下さい。」

 

という内容だった。

 

自分が送ったメールを再度読み直してみると、やはり、

 

文章がおかしく、変換ミスもあり、どう見ても意味不明だ。

 

すぐに、お詫びの返信メールを入れたのだが、それから、

 

びゅんびゅんびゅんびゅん、出てくる、出てくる、

 

僕の心の中で、赦しの真骨頂が始まった。

 

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僕が普段、業務で使っている言語は、

 

日本語、広東語、北京語、英語、ベトナム語、なのだが、

 

例えば、

 

広東語で長時間話をしたり、漢文の長い文章を書いた後

 

急に日本語を使おうとすると、言語モードが切り替わらず

 

日本語の表現がヘンになってしまったりする。

 

で、今回も、この問題メールを送る前に、

 

中文の契約書を作成していたのが原因で、

 

日本語の文章がおかしくなってしまったのだ。

 

もちろん、本人はそのことに全く気づいていない。

 

 

まあ、表面的な原因を説明すればこんな感じなのだが、

 

心に戻って見てみると、真の原因はそこではない。

 

 

というのも、このメールは、

 

他の関係者にもCCが入っていたため、

 

複数の人が「意味不明だ」という僕に対する

 

批判的な管理本部担当者の文章を読んだことになる。

 

 

〝みんなの前で攻撃された!恥をかかされた!〟

 

〝みんなからダメなやつと思われたのではないか〟

 

〝人前で僕のプライドを傷つけたアイツは死刑だ!〟

 

 

自分を攻撃してきた相手への怒りや恐怖、そして何より、

 

周囲の人から同情され、憐れまれている惨めな自分、

 

というヘドロのような想いが、沸々とこみ上げてきた。

 

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昼休み、応接室のソファに胡坐をかき、

 

ブランケットにくるまって、自分の心の中と向き合った。

 

込み上げる毒素のような感情を見つめ、

 

〝神から攻撃された。〟〝神から疎まれている。〟

 

〝父からダメなやつだと烙印を押された。〟

 

〝なんで父は僕にこんな仕打ちをするのか。〟

 

といった、神への間違った信念を注視してゆく。

 

そこから見えてきたのは、神から攻撃されるくらいなら

 

同僚から攻撃された方がまだマシだ、という想いだ。

 

そう。

 

〝まだマシ〟な方を選んだのは自分だったのである。

 

 

「これは全部、君の妄想なんだよ。」

 

「これは君の勘違いで、ただの間違いに過ぎない。」

 

「直視して、それが本当ではないと見抜きなさい。」

 

「これはみんな、君の心の中だけで起きている。」

 

J兄貴の声なき声に耳を傾ける。

 

 

おそらく、現実レベルの事で言えば、

 

今回の出来事は回避不能だったと思う。

 

僕はただトイレで〝ふっ〟と資料の不備に気づき、

 

〝ふっ〟と資料をリバイスしてメールを送り、その結果、

 

〝ふっ〟と思いもかけない動揺に遭遇してしまった。

  

なので、なんであんなメールを送ってしまったのか、

 

と、自分を責めるのではなく、

 

ただ赦すためだけに状況を使う。

 

だって、出てこないと赦せないから…。

 

 

このようにして、起こった出来事に対してではなく、

 

自分の心の中だけに焦点を合わせ、赦してゆくと、

 

〝メールで攻撃され、プライドを傷つけられました事件〟

 

は、単なる笑い話、つまり、ジョークとなってゆく。

 

まあ、僕が送ったメールに関して、実際のところ、

 

誰も何も思ってはいないし、

 

それほど人は、僕に対して関心など持ってはいない。

 

全ては僕の心の中の自意識過剰劇場にすぎないのだ。

 

 

そもそも罪悪感とは〝罪悪を持っている感じ〟

 

という意味であり、罪悪そのものではない。

 

ただ自分がそう感じているだけの話である。

 

その〝感じ〟を見つめ、ウソだと看破してゆくことで、

 

自分の勘違いを認識し、正気へと戻ってゆくのだ。

 

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そして今回、改めて自覚したのが、

 

眼前に顕われる他者こそが自分である、という事実だ。

 

もし、誰かに対して、

 

「こいつ、ウザい、ムカつく。」「この人馬鹿じゃないの?」

 

「死ね。」「何もそんな言い方することないじゃん!」 

 

と思ったなら、ウザくて、馬鹿で、死ぬのは自分であり、

 

そう自分で自分に宣言していることになる。

 

故に、今回の一件で、目の前にいる兄弟を赦すことは

 

自分が赦されることなのだ、と改めて思い知った。

 

 

そうやって昼休みを終え、午後の業務に復帰した頃には

 

罪悪感からくる怒りはただの〝てへっ〟に変わっていた。

 

以前も書いたが、ほんと、

 

赦しを実践するために働いているボクである。