↑ この日は、直通列車で広州へ。
久々に陳弁護士に会う。
20代の頃から、夜、寝ている時に見る夢の中で、
定期的に何度も見る夢が三つほどある。
ひとつは、実の父親を刃物で刺し殺す夢で、
殺した後、なぜか妹と一緒に父を洞穴に埋め、
その後、自分は殺人犯だ、と絶望感にさいなまれる。
もうひとつは、実家を他の家族に乗っ取られ、
僕たち一家丸ごと、公衆トイレ(笑)に引っ越す夢で、
僕の実家で楽しそうに暮らす、その家族を見ながら、
もう帰る家は無いんだ、と喪失感にもがき苦しむ。
そして最後が、単位が足りず大学を卒業できない夢で、
単位を取るため、必死で講義に出席しようとするのだが、
教室に辿り着けなかったり、朝寝坊をしたりして、
どうしても講義を受けられず、焦燥感にあたふたする。
場面や状況は毎回微妙に違うのだが、これらの夢を、
25、6歳頃から、年に3、4、回は見るようになった。
それで、一昨晩と昨晩、大学卒業できないバージョンと、
実家乗っ取られバージョンの夢を連続で見たのだ。
それで、はっ、とベッドの上で目覚めたとき、
まだ、夢の中で感じていた動揺は残っていて、
目覚めた自分に気づくと同時に、ああ、あれは夢だった、
実際は大学も卒業しているし、実家も失ってはいない、
という事実が蘇えり、心から安堵のため息をついたのだ。
↑ 夜はヒルトンホテル広州に宿泊
近くの公園で踊っているおばさん集団
僕らが現実だと思っているこの世界も、
寝る時に見るこれらの夢と同様、本当は何も起きてなく、
目が覚めれば消えてゆく、ただの妄映である、と、
この二晩連続の悪夢から覚めたとき、心底自覚した。
この世界って、寝ている時に見る夢と全く同じじゃん。
肉体を持って経験する事は全て夢で、醒めれば消える。
なんか、第一レベルの観点から世界を赦していた。
しかし、まだまだ僕達はこの夢の世界を深く信じている。
夜見ている夢から醒めるのと同じように、
この幻想世界から目覚めようとするなら、
夢の中で様々な葛藤や動揺に苛まれている
夢の登場人物である自分とは別の、
いまもベッドで眠り続ける、夢を見ているおおもとの存在
を認識して、そこから赦す必要がある。
そして、本当は父も殺していなければ、家も失っていない
という真実を理解している部分にアクセスしてゆく。
なので、常に夢を見ている張本人の方へ戻り、
一つ一つの現実の出来事からくる動揺に対して、
これは、僕が昨夜見た悪夢と同じく存在すらしていない
ただの妄映なんだ、という事実を適応してゆくことで、
目覚めた後の世界(聖霊/実相世界)のほうへと、
意識を向けられるのだ。
↑ 夜、広州へ転職してきた台湾人の友人と夕食
今回の〝二夜連続の悪夢〟から学んだことは、
この夢の世界で何かをしたり、思ったりしている自分と、
その夢を目撃している自分は別物だ、ということだ。
だから、夢の目撃者の方へ戻って、本当に〝ここ〟は、
夢であり実在ではない、という自覚のもとに
世界を赦してゆくことが非常に大切だと実感させられた。
また、このことは、
夢の出来事を一旦実在させてから赦したり、
夢の登場人物である自分の位置で赦しがちだった
最近の僕に、大きな軌道修正を促してくれた。
はなから起こっていなかったが故に赦す。
昨夜夢に出てきた人物が、その夢の中でやったことに
誰も腹を立てる必要はないし、腹を立てても意味がない。
誰も何もしていないことを赦す。
ただ、夢の出来事から湧き上がってくる想いを、
夢であるからこそ、赦してゆく。