暑い。
それでも、これまで1時間半かかっていた通勤時間が、
引っ越してからは、40分に短縮されたので助かる。
アパートのすぐ下のバス停から直通バスが出ており、
全く汗をかかずに会社までたどり着ける。
特に、香港の郊外を通るため、
ビル群が密集する香港島とはまた違った風情があり、
毎日小旅行をしているようで、楽しい。
そんなわけで、一見、精緻で壮大に見えるこの世界が、
実は、吉本新喜劇の舞台装置並みのショぼさだった、
という自我の小細工に、
完全に気づいてしまった僕である。
向こうから息を呑むような美人の女性が歩いてくるのも、
木々がざわめき、顔に心地よい風が吹きつけてくるのも、
寸でのところで電車に乗り遅れてしまったのも、
お金がどんどん無くなっていくのも、
あの人から無視をされつづけているのも、全て、全て、
僕たちに解釈させるための〝トリック〟に過ぎない。
僕たちに解釈をさせることで、
神を、全く別のものとして見せようという魂胆だ。
美人のお姉さんも、風も、電車も、お金も、あの人も、
本当は、存在すらしないイリュージョンでしかない。
なので、このマトリックスのVR世界を眺めながら、
「怒りを誘発するようなあのやり取りもトリックかあ~。」
「花の周りを舞うこのミツバチも幻影かあ~。」
「会社で起こるこれも、全部インチキかあ~。」
と、自我のトリックを見破ることが、
自我を見つめるということとなる。
⇑ 右端に映る裸のおじさんがシブい。
ただそれは、首から上(頭/脳/思考)でやるのではない。
また、テクニカル的なワークのようにやるのでもない。
この世界が自我のトリックだと知っているだけでは、
神がすでに〝ここ〟にいることに気づけない。
〝ハート〟から自我のやっていることを観ること。
前回の記事で書いた「それは神だ!」のところで観る。
そうすれば、自分がこれまで、
どれだけ卑劣な扱いを受けてきたかに気づくことができ、
もう金輪際、このような茶番劇に関わるまいと、
凛とした自覚を以って自我を一蹴することができる。
と同時に、周囲の兄弟たちが、
いかに惨めな状況に陥っているかも見えてくる。
本当はそのような存在ではないのに…。
神から完全に祝福されている存在なのに…。
というわけで、今は午前零時、これから、空港へ向かう。
深夜2時の便で大阪へ行くのだ。
深夜便に乗るのは何年振りだろう。
朝6時半に大阪に着くので、一日得した気分になる。
が、もう年齢が年齢なだけに、着いてからがきつい。
今回は、大阪の実家へは戻らず、ホテルに宿泊する。
8月も、大阪、上海、フィリピン、フランスのリヨン、と、
海外出張が続く。
今日コンババ部長が杭州へ同行してくれと言ってきたが
さすがに拒否った。
ああ、これもトリックかっ!
くぅーっ!