⇑ 扁平桃
僕の意識に神とハートが入って以来、
全てが神に変わってしまった。
ていうか、はじめから神しかなかったことに、
気づいてしまった、という感じか。
解釈をしている自分自体が〝無〟なのであれば、
世界に対する解釈すらもないことになる。
要するに、ホワイトボードに書かれた落書きの奥に在る
神の考え(想念)そのものに気づくと、
神の歓びの想念の反映、として世界が知覚されてくる。
そんなことを言われると、多分、昔の僕であれば、
「じゃあ、仕事上の様々な問題はどう解決してゆくのか。」
「失業してお金に困っていたら、どう対処するのか。」
「レストランでメニューを選ぶときはどうするんだ?」
と、食い気味にまくしたてていただろう。
その考え自体が神へ戻らないための解釈だった、
と、いまは解かる。
そしてまた、その考え自体も神だったことを知っている。
なので、出張の手配、財務諸表の精査、会議、など、
普通に頭で考えてやるべきことはやっていても、
そこに自分は無く、神と同じもの、として存在している。
すると、なんだろう。
すでに神に戻っていた、という深い平安に包まれ、
何が起こっても起こらなくても、安心でいられる。
自我のトリックをトリックだと見破って生きている、
ベタな言い方をすれば、ここがお化け屋敷と知った上で、
お化け屋敷を楽しんでいる。
⇑ 塩漬けレモン。スプライトに入れて飲むと、
甘酸っぱくて何と見えない味になる。
そんな感じで、大阪の実家にいる。
金曜日に大阪の得意先で会議があり、
そのまま、日曜日まで日本で過ごすことにしたのだ。
会議の間も、ハートのエクスタシー寸止め状態だった。
全開にしてしまうと、ヤバいことになるので、
「ああ、もう辛抱たまらん~。」と心の中で喘ぎながらも、
なんとか堪えた。
それでもみんなが〝愛してるよーっ〟と言っていて、
それに呼応するように喜悦が溢れだしてくる。
もう〝濡れ濡れ状態〟である。(爆)
で、今日土曜日は、僕と同じようにハートを感じていて、
神の愛に至ったコース兄弟とランチ&お茶をした。
彼女はこの感覚を〝法悦〟と呼んでいて、
男性の僕よりダイレクトにハートを感じまくるため、
電車の中でも 「ああっ、うう~ん。いやーん。」と、
身悶えしてしまう、というのだ。(⇚み、見てみたい)
そして、強烈な神のエクスタシーの中に在って、
彼女はここ三カ月、ほとんど寝ていないらしい。
そんな、ハート談義の中で二人が持った結論は、
ハートのエクスタシーって、性的エクスタシーそのものだ、
というものだった。
ただ、性的対象が、特定の誰々さんではなく、
全一なる神なので、神に法悦を感じてしまうと、
もう何を見ても、
そこに延々神のエクスタシーを感じて過ごすこととなる。
「神に真からの感謝を捧げると、
神はその何万倍もの愛を返してきて、
すごいことになるから、今晩やってみい。」
と、彼女に言われたが、まだ実行はしていない。
というわけで、
日曜に香港へ戻り、月曜から上海出張である。
それでも、9月下旬に二週間の一時帰国休暇を取るので
一生懸命、お仕事頑張る!!
でも、会社という実践の場があって本当に良かったよ。
もし、一日中コースだけをやっている身分だったら、
家では神を感じられるけど、一歩外へ出た途端、
ほんの小さな現実世界の出来事にふれただけで、
攻撃されたように感じてしまい、
すぐ、神なんかすっ飛んでしまう、と思うから…。
なので僕の経験上、
実践は〝娑婆〟でやるべきだ、と思うのである。
そうでないと、家の中では神だ、神だ、と言っていても、
ちょっと買い物にでも出て、
店の店員から不当な扱いでも受けようものなら、
心の中は即行、怒りと罪悪感で一杯になり、
そこから5日くらい抜け出せなくなったりする。
また、これはコースを教える立場の人に多いのだが、
コースコミュニティの中だけで過ごすのも要注意だ。
他に投影先がないと、
コース兄弟に自我を投影してしまうため、
それは違うんですよ、と、
〝導く〟という体裁で、兄弟を責めたりする。
そういう意味で、普段から〝シャバ〟で接する、
コースもスピも、何もしていない普通の兄弟は、
僕にとって、とてもありがたい存在となっている。