最近はやたら、神だ、ハートだ、と騒々しい僕であるが、
もちろん、赦しだってやっている。(⇚ ドヤ顔)
今の僕は、主に4ステップで赦しを実践している。
例えば、
「なんじゃコイツ」とか、「この仕事イヤだな」とか、
「あーあ、やっちゃった」といった不快感が出てきたとき、
① 自分が今〝やっちゃってる〟ことに、ハッ、と気づく。
② その不快感(罪悪感/恐怖)を、ハッ、と直視する。
③ ハッ、と神を想い出す。
④ ハーッ、とハートが上ってきて、兄弟が愛そのもの、
神そのものだったことを確認して、フィニッシュ。
とまあ、文字にするとこんな感じか。
この〝ハッ〟が非常に大切で、決してダラダラやらない。
特に罪悪感を直視する時は、
罪悪それ自体を見つめるのではなく、
必ずその裏に隠れている〝神の愛の感覚〟を
認識するようにしている。
でないと、元来父に出会うための行為である赦しが、
まるでスポ根ドラマのような苦行になってしまう。
「天国めざして、どんなに苦しくったって負けないわっ!」
みたいな…。
また、最後のステップについては、僕の場合、
第三ステップで神を思い出すことができていれば、
何もしなくても、自動的にハートが上がってくるので、
何だか有り難いような、愛おしいような感覚が、
兄弟に対して湧き起こってきていたら完了とする。
そして何より、
赦しの実践で大きな役割を担っているのが聖霊であるが
僕はどちらかというと、
聖霊と〝一緒に〟自我を見てゆく、というより、
聖霊として観る、聖霊それ自身となって観る、
という感覚である。
なぜなら、聖霊と一緒に、といえば、
聖霊という分離した〝誰か〟が、
別にいるような感じになってしまうので、
聖霊の存在感で観るようにしている。
まあ、これは、あくまで僕の赦し方なので、
他の人にとってこの方法が〝正しい〟のかどうかは
分からない。
いずれにせよ、赦した後には深い〝平安〟が来る。
とまあ、こんなそんなで、香港のデモは続いている。
先週土曜日は、
地下鉄荃灣綫(東京の日比谷線に相当)が不通となり、
日曜は観塘線(東京の中央線に相当)が不通となった。
これは決してデモ隊の人が何かをしているからではなく、
あまりにデモに参加する人たちが多すぎるため、
地下鉄のホームに人が溢れ、危険と判断されたためだ。
なので当分、週末は家でまったり過ごすことにする。