土曜日から日曜にかけ、12時間くらい眠った。
眠っているとき、へんてこりんな夢をいくつも見た。
なぜか僕は、政府のお金一億円を不正に横領し、
白いキャリーバックに詰めて隠し持っている。
警察はこの一億円を巡って大捜索を行なっているが、
それでも、僕には絶対バレないという自信があった。
そんな折、僕の友人がトランクの中身を見てしまい、
どうするつもりだ、と騒ぎ出す。
「ああ、どうしよう。たとえ、友人に口封じをしたとしても、
恐怖と焦燥の中で、一生を送ることになるだろう。
もう二度と、心底幸せを感じることはないのだ。」
と、絶望に苛まれているとき、はっ、と目が覚めた。
「ああ、夢だったあ。起こってなかった。助かったぁー!」
と、ほっと胸をなでおろす。
この瞬間、思った。
夢の中の自分は、本当に自分が横領したと信じており、
もう自分は神からも見放された、と心から落胆していた。
でも、それが夢だと知った途端、
本当の自分のアイデンティティが回復し、
すっ、と心の平安が戻ってきた。
どういうことかというと、
この世界は寝ている時に見る夢と同じく、全くの幻想で、
本当は何も起こってない、という真の自覚が起こるには、
まず、夢の外へ出ている必要がある、ということである。
そうすることで、
ここが夢だ、本当に無かった、と真に自覚しながら、
この夢の世界を生きることができる。
それには、いま自分が存在しているこの夢の世界よりも、
もっとよい世界があると〝はっきり〟自覚していること、
つまり、実相世界(神、ハート)に触れていることが、
大切となってくる。
僕の場合、
この人が本当に大好き!このケーキおいしいーっ!
この曲を聞くととっても幸せな気分になる、というような、
小さな歓びから、全体のひとつの歓びへと入ってゆく。
通りすがりの人の小さな親切に対する感謝の気持ち、
ありがとう、とお礼を言われた時の小さな感動、
そして、友人が放ったちょっとした冗談に、
大声で笑った時の愉快な気持ち、
そんな小さな歓びの根底に流れる、
不変の〝悦〟(エクスタシー)を、
何の解釈も挟まず、ただ〝神の感じ〟として味わうのだ。
それが、ハートであり、神の国を流れる空気である。
そうやって、
神の反映である〝歓びの想い〟に触れることで、
ここが夢で本当ではないと真の自覚を持つことができる。
要するに、僕たちがコースの理論を学んでいるのは、
神のもとへ到達する手段を学んでいるのではなく、
ハートを感じ、神に触れるきっかけを学んでいるのだ。
なぜなら、神はもうここに在り、僕たちはただ、
夢から覚めていることに気づくだけなのだから…。