今どきのオレオレ詐欺というのは、
かなり手口が巧妙になりつつあると聞くが、その理由は、
被害者の方も、これまでのように、そうやすやすとは
騙されなくなってきている、ということなのだろう。
しかし、いまだ、
99.99%のよい子たちがひっ掛かっている詐欺がある。
〝オレがオレが詐欺〟である。
「オレが、オレが…。
オレが考え、オレが決めて、オレがやるんだよ!」
「オレが、オレが…。
オレが解釈して認めた世界こそ価値があるんだよ!」
「オレが、オレが…。
みんなオレが正しくて、間違っているのは、
みんなお前らの方なんだよーッ!」
と、これは、
罪悪を他者に投影する、欧米系に多い詐欺である。
またこの〝オレがオレが詐欺〟を更に巧妙化させたのが
〝オレなんか詐欺〟だ。
「オレなんか、何をやってもダメだし、金もないし、
どうせ、愛される資格なんかないんだ。」
「オレなんか、まあ、こんなもんさ。」
これは、主にアジアを拠点とする自責型詐欺で、
オレなんか、と言いながら、実は、
自分を解かってくれない他者を責めているという、
なんとも、ややっこしい詐欺である。
オレがオレが詐欺も、オレなんか詐欺も、基は同じ、
〝父を裏切っちゃった感〟から来ている。
神なんか要らない、という父に対する間違った解釈故に、
僕たちは、
自我による巧妙な詐欺に引っかかり続けている。
だがこれは、
他でもない〝オレ〟が下した解釈なのだから、
〝オレ〟が取り下げれば済む話でもある。
僕が解釈を取り下げる際に意識していることは、
一つ一つの出来事に対する解釈を取り下げるのでは
なく〝解釈〟という全体の概念自体を取り下げる。
あの人はどうのこうの、これに関してはどうしたこうした、
という、個々の解釈を指して云々するのではなく、
〝解釈をしていること自体〟を取り下げるのだ。
取り下げるということは、ただ止めるということである。
実際には、
解釈自体に気づいて、それをただ見過ごすだけである。
そうして、みぞおちの奥を意識しながらハートを想い出す。
すると、解釈が〝神の想念〟に、さっ、と入れ替わる。
神が上がってくる感じ。
僕の場合、これを赦しと呼んでいる。
⇑ 弁護士先生と上海でカンパイ!
今月19日からは、14日間の里帰り休暇に入る。
今回は、香港 ⇒ 台北 ⇒ 那覇 ⇒ 大阪 ⇒ 香港
という旅程で行こう、と思っている。
台湾では久々に出版社の人にも会う予定で、
そろそろ新作も上梓しなければ、と思っている。
また、沖縄では、ちょっと豪華なホテルに泊まろう。
そして大阪では、じっくり両親に寄り添おうと考えている。
いくつものサイトを周遊しながら、
旅程に沿った周遊チケットやホテルを予約してゆく。
(社長! ス、スンマセン!仕事中にやりました!)
出張の手配と違い、
プライベートの旅程を立てるのって、すごく楽しい。
今回は、ちょっと奮発して、
LCCは使わず、ホテルも4万円以上のところを予約した。
よし、明日から、一生懸命働くぞーぃ!