日曜日、フジテレビの番組 『ザ・ノンフィクション』で、
『レンタル、なんもしないボクを貸し出します』
という、ドキュメンタリーをやっていたので見た。
〝レンタルさん〟と呼ばれる35歳の〝ぼく〟は、
自宅がある国分寺駅からの往復の交通費と諸経費を
負担してもらえれば、いつでも〝ぼく〟を貸し出す。
ただし、条件は、飲み食いや、ごく簡単な受け答え以外
なんもしない、というもの。
そしてこのサービスが、いま、
東京に住む20代の女性を中心に大盛況なのだという。
依頼内容はと言えば、
恋愛感情を抱かない男性とファミレスで食事がしたい、
自分が作った曲を、目の前で聞いてほしい、
知り合いの前だと気を使ってヘラヘラする自分が嫌で、
嫌われてもいい相手と、真顔で一緒に食事をしたい、
おもてなしをしなくてもいい相手に泊まりに来てほしい、
ひとりだと家の片付けができないため、ただ隣で、
片づけをしている自分を見ていてもらいたい、など…。
また、おなら恐怖症の女性の後ろをずっと付いて歩き、
自分が本当に臭いか正直に述べてほしい、
いう依頼まであった。
面白いのは、
レンタルさんは報酬を一切受け取らないことだ。
本人曰く、本当に何もせずに(金儲けすらせずに)
やって行けるのかを実験しているのだという。
依頼者が、
レンタルさんに求めているものは無解釈と無評価だ。
彼らは、自分がやったり、言ったりすることに、
「なんで?」と解釈や評価を差し挟まれたくない。
なので、あれこれ評価されるのを嫌う彼らは、普段、
知り合いや友人の前では決して素の自分を出さない。
しかし、それでもどこかで、
〝本当の自分を分かって欲しい〟という欲求はあり、
微妙は距離感でそのニーズを満たしてくれるのが、
レンタルさんだった、というわけである。
それに、
レンタルさんのちょっと虚無的でうつろな眼差しや、
どこまでも受け身で、ソフトなイケメンキャラが、
女性たちに安らぎを与える要因にもなっている。
この番組を見ていて、なぜか聖霊兄貴を思い出した。
ただ〝無い〟だけを差出す存在である聖霊兄貴は、
隠蔽しておきたい秘密を、僕たちにそっとさらけ出させ、
それによって、僕達の心の中の罪悪感を取り消してゆく。
それから、レンタルさんの角度から見れば、
眼前で依頼者が起こしているパフォーマンスに対して、
何の期待も解釈もせず、この人はこうと決めることもなく、
ただ、起きていることを起きていることとして見ている。
本人が気づいているのかどうかは不明だが、
彼はきっと、眼前の依頼者の姿に、
無意識の罪悪感を映し出すことによって、
自分の心の中を直視しているのだろう。
そして、いつか彼は、
自分が本当は神を観ていたことに気づくのだ。
そんなわけで、明後日から長期休暇に入る。
今回の休暇は、もう神が自分の中にずっといた、
と知っている状態で迎える、初めての休暇である。
ゆっくりのんびり、
神の中でたゆたっていることにする。