会社の同僚や、友人や、両親に、愛してるぅーっ!と、
駆け寄ってハグしたい気持ちを必死でこらえながら、
日々を過ごしているボクである。
自分は神から一度も離れたことはなく、
その自分は神と同じ存在であった、と、
真に〝入った〟状態というのは、
すでに赦しっぱなしで24時間存在するのと、
まったく同じ状態を指す。
といっても、僕はまだ〝入りたてホヤホヤ〟であるため、
咎めが出てくる度に神を思い出している段階なのだが、
もっと神が自分の中に馴染んでくれば、
恒常的に赦している状態(愛の状態)になれるのだろう。
聖霊兄貴は、
神の理解から来る愛と歓びの記憶は残し、
自我から来る罪悪の想念は取り消す。
すなわち、愛の記憶(いい感じの想い出)は残され、
憎悪の記憶(嫌な感じの想い出)は消去される。
どういうことかというと、
兄弟から受けた愛の行為に対する感謝の気持ちや、
欲しいと思っていたものが手に入った時の歓喜、または、
ありがとう、と言われた時の満ち足りた感動などは残され
こいつシバいたろか、という咎めの想いは、
赦しによって、聖霊兄貴に取り消される。
そういう意味で、
僕たちはいま、思い出づくり、ならぬ、
〝思い出のこし〟をやっているのだな、と思う。
なので、これからは、全てを神として受け止め、
ただ歓んでいることで、聖霊兄貴に貢献するのだ。
というわけで、
日本滞在最終日は、両親と梅田でランチをした。
母は肉類がダメなので、食事は自ずと懐石となる。
父も母も年を重ね、手にも顔にも深い皺がある。
多分、彼らも数年後には肉体を脱ぐのだろう。
なので、100%何の咎めも無く彼らを見て、
彼らの中に在る神を見いだすことで、
愛の〝想い出残し〟をしてゆく。
そうすることで、彼らは僕となり、
幻想の彼らが本当に無かったことを目撃するのだ。