ずっと、広東省の珠海に行っていた。
毎年10月に開かれる消耗材展覧会への参観と、
国内取引先のパーティーに出席するためだ。
歌あり、踊りあり、ラッキードローありのパーティーは、
とても豪華で、華やかだった。
パーティー後も、野外広場でカクテルパーティーが催され
多くの人たちが、夜遅くまで盛り上がっていた。
ただ、僕はあまり楽しめなかった。
というのも、取引先主催のパーティーというのは、
展覧会へ商談にやって来た関係者が多数出席しており、
様々な企業の関係性や思惑が錯綜する場所でもある。
僕は普段、財務や法務の仕事をしているので、
こういう営業の場所に顔を出すことはごく稀なのだが、
今回は、あるプロジェクトの通訳に駆り出されたのだ。
昼間、
偉い人や、ほとんど初対面の人たち相手に、
言ってよいことと、悪いことを区別しながら話したり、
利害によって立ち居振る舞いを変えて対応することに、
疲れ果てていたのか、夜のパーティーの席では、
たまたま隣り合わせた、他社の営業担当の人と、
ワインを飲みながワイワイ話しているうちに、
僕もだんだん気が緩み、素の自分を出し始めた。
すると、互いにざっくばらんな話をしている延長線で、
「星谷さんって、高い声が裏返ってなんか気持ち悪い。」
と、何気ない口調で言われた。
過去にもそのような感じのことは言われたことがあり、
自分でも、ドキン、とした。
それから、ホテルへ戻り、香港へ戻り、自宅へ戻っても、
その〝気持ち悪い〟の一言がずっと心に引っかかり、
自分は人から気持ち悪いと思われているのだろうか、
と考えれば、兄弟たちがとても怖い存在に見え、
もう居ても立っても居られないほど、胸が苦しくなった。
なのでこの週末は、じっくり赦しを行なうことにした。
あの営業担当の彼は、やはり僕の心を投影している。
自分は、他の〝ちゃんとした兄弟たち〟とは違っており、
気持ち悪い存在で、それに対し罪悪感を抱いている。
そして、僕以外の〝ちゃんとした兄弟たち〟はまた、
父(神)の象徴でもあり、本当は、僕の無意識の心が、
自分は神と違っている、と信じている証拠でもある。
自分は神と違っている、他の兄弟とも違っている、
故に自分は攻撃されても仕方のない存在なんだ、
という思い込みを認識し、じっと見つめる。
それでもやはり、自分が見ているものは存在せず、
それは本当に無いのだから、無なのだ、と、
自分も、兄弟も無罪であったことを思い出し、
そこから、神へ触れてゆく。
だが、胸の重さ(罪悪感)はずっしりと居座っている。
「J、この、あると思っている罪悪感を、
全て神の祭壇に捧げます。
なのでどうか、僕が、Jや神と同じ存在だ、
ということを思い出させて下さい。」
ベッドに仰向けになり、僕は祈った。
祈った後はもう、自分で何とかしようとすることは止め、
ただこの胸の苦しさを、J兄貴に預ける感じで、
じっと目を閉じ、ただ咎めず判断せず、放置していた。
夕方、WOWOWで〝I Feel Pretty〟という映画を観た。
太めな体にコンプレックスを抱いている女性が、
ジムの床で頭を強打してから、
自分がナイスバディのブロンド美女に見えるようになり、
自分は絶世の美女だという思い込みで行動してゆくうち
恋も仕事も手に入れるのだが、再び風呂場で頭を強打し
ナイスバディが、ただの思い込みだったことを知り…、
という物語なのだが、その中でのセリフで、
「私はずっと私だった。
子供の頃はみんな自信に満ちている。
お腹が出ていようと思い切りパンツを食いこませて踊る。
でも、ある日、砂場で誰かに意地悪なことを言われて、
何度も自分を疑ううち全ての自信や自尊心が消え去る。
でも、それに打ち勝つ強さを手に入れられたら?
見た目なんか関係ない。声もね。
誰に美しくないとか、能力がない、と言われようと、
本当の私たちは、もっと素晴らしいものです。
だって、私は、私だから。
みんな、ほんの少しの嫌な部分ばかりに固執して、
素晴らしい部分を完全に見逃している。」
この瞬間、これはJからのメッセージだと解かった。
僕はセリフの中の〝私〟という言葉を、
神の子に置き換えて理解していた。
それに、偶然なのか、僕とと同じように、小さい頃から、
自分の高い声に劣等感を持っている社長も出てくる。
Jが僕を励ましてくれている。
誰に何を言われようと、何も変える必要などない。
努めて、低い声を出そうと訓練したり、
人によって言動を変えたりする必要もない。
神と自分とは違っている、を、兄弟と自分は違っている、
というふうに、罪悪感をすり替えている。
ただそれは間違いで、神はいつもここに在るのだから、
神と同じものとして、黙って凛としていればよいのだ。
みぞおちにはまだ、刺すような苦しさが残っているが、
まあいい、Jがそのうち癒やしてくれるだろう。