実家に戻ると、香港で事前にアマゾンで購入しておいた
商品の数々が自分の部屋に山積みになっていた。
「一日に何回も配達にきてくれはって、もうほんま、
配達の人に申し訳なかったわぁ。」と82歳の母が言う。
ヒアルロン酸100%原液、アスタリフト保湿ジェル、
IPSシャンプーなどの、定番アイテムのほか、
英雄ブランドの小説家万年筆を購入した。
二本セットで2700円也。とてもこの値段には見えない。
書き心地もサイコーで、紙の滑りもよい。
仕事用には不向きだが、小説のプロットを練ったり、
ふと、思ったことを書き留めたりするのに使うつもり。
それから、なぜかもう一度読みたいと思い立ち、
エックタルトの〝POWER OF NOW〟を購入したら、
それ〝もどき〟な抜粋本が来た。 きいーっ!
この英雄万年筆が本当は神だった、と気づくのと同様、
意識にふっと湧き上がってくる様々な思考、例えば、
誰かが何気なく言った一言に対して、
死ねばいいのに、と瞬間的殺意を覚えたり、
今のこの幸せを失ったらどうしよう、と恐怖を感じたり、
誰かをどうのこうのと批判したい気持ちが起こった時も、
やはり、その思いの本当の姿は神の想いでしかない。
これはダメ、あの人はイヤ、傷ついた、腹立つ、悲しい、
何でもいいが、それら、愛が欲しいという叫びの奥にも、
やはり、聖霊や神が隠れている。
逆に言えば、神を隠すために、悩んでいる。
自分の中から湧き上がってくる想い、
相手から立ち上がってくる思考の泡ぶくを見すごし、
その背後にたゆたう、愛の想いに気づく。
それが、真に罪悪感を直視することの意味である。
ただ、恐怖や怒りや不安を、ジトーっ、と直視しながら、
あぁーっ、ううーっ、ひいぃーっ、やめてぇーっ、と、
罪悪のエクスタシーにのたうち回ることではないのだ。
それは天国のエクスタシーだったと気づくことであり、
そして、神に気づいているのが自分ではなく、
気づかれている神の方が自分(霊)だった、
という〝オチ〟まで持っていくことである。
つかんで、ボケて、ツッコんだら、
最後は〝オトす〟のが関西人の常識や!