今日は、朝から荷造りをし、正午前に実家を出た。
姿が見えなくなるまで、家の前で母が手を振っていた。
関空特急はるかに乗り、関空へ向かう。
空港はガラガラだった。
カウンターチェックインから、荷物検査を経て、
イミグレを抜けるまで10分かからなかった。
飛行機の中で、ちょっとやばいかも、と思った。
なんだか熱っぽく、体もだるい。少し寒気もする。
ひょっとして…?と思いながらも、眠ることにした。
まあ、香港に着くころには、体調は回復していたが、
油断は禁物、今日と明日は部屋から出ないつもりだ。
香港の街も閑散としていた。
土曜日なのに、地下鉄にほとんど人がいない。
大陸から客が来ないからか、ブランド店も閉店している。
コロナウイルスは湿気に弱い、という専門家もいるが、
僕の2003年の経験でいえば、まだ寒かった1月2月は
変な風邪が流行しているな、くらいだったのが、
3月に入り、気温が上がって、湿度が増した途端、
一気にウィルスが拡散され、激症化する人が増えた。
とはいっても、自分にできることは限られている。
僕にできることは、なにが起きても、起きなくても、
歓びの中でいい感じですごす、ということだけだ。
で、僕がいい感じになるのはどんな時か、と考えてみた。
好きなマッサージ師にマッサージをして貰っている時、
筋トレをしている時、部屋で一人ワインを飲んでいる時、
寝落ちする寸前、創作をしている時、休みの日の前夜、
などなど、明日のことを憂いていない、
とても平安で安全感に満ちている瞬間こそが、
僕にとっての〝いい感じ〟だと言える。
そして、
この〝いい感じ〟こそが神の歓びの象徴であり、
いい感じを感じる時、神そのものになっている。
リラックスして心が緩み、いい感じと一体になっていると、
自分が不在となり、いま起こっていることに抗うことなく、
完全に受け容れている状態となる。
なので、神につながるコツと言ったらヘンなのだが、
自分が神だったことを思い出したいとき、
自分が平安になれることをするようにしている。
例えば
仕事中でも、ちょっと外へコーヒーを飲みに行ったり、
お風呂で好きなミュージシャンの音楽を聞いたり、
お気に入りのカフェで創作したり、読書をしたりする。
すると、何だかいい感じとなり、そこで神を発見する。
逆に、いま、大きな葛藤と動揺の真っ最中にあり、
とてもいい感じになどなれない、という場合、
僕は、ひとり、自分の家や、会社のトイレの中などで、
思い切りネガティブに徹する。
〝ぐじゅぐじゅメソメソ〟と徹底的に落ち込む。
なぜなら、ネガティブな状態の時というのは、ある意味、
オチている状態こそが〝いい感じ〟となっているので、
無理やり神の悦びに入ろうとするより、
おもいきり、膝抱えて、落ち込んだ方が安定する。
例えば、僕が以前から苦手だった部門長会議であるが、
もうすぐ自分の発表の番が回ってくるとガチガチしながら
いい感じになどなれるはずもないので、ならばいっそ、
今に抵抗せず、今この瞬間でのいい感じ、すなわち、
とことん緊張しまくることを全うする覚悟を決めると、
案外、一周回って、ああ、もう大丈夫、となる。、
なんていうか、いい感じも、よくない感じも、表裏一体で、
元は同じ神なので、出てくるものに抵抗せずにいると、
自然といい感じになってゆく。
というわけで、
今回の新型肺炎も、いい感じ、で見すごしてゆくぜ!