怒り、悲しみ、不安、恐怖、を聖霊と一緒に見て、
聖霊にこの間違った思いを明け渡しなさい、
と奇跡講座では言われるが、これって結局、
聖霊と一緒に、思い切り怒り、思い切り悲しみ
不安や恐怖に思い切りのたうち回ることだ、
と僕は思っている。
そうなのだ、聖霊と一緒に見る、ということは、
これはわたしのものでありまっせーん、
これは神の子のわたしとは関係ありまっせーん、
ではなく、
「むっかつくー、ふっざけんなぁー、この野郎!」
「もうだめだ、悲しすぎて生きていけない」
「どうしよう、どうしよう、どうしよう、こわいよー」
を、聖霊と一緒にとことん味わい、吐き出す。
聖霊は、どんなことを言ってもやっても、
「サイコー、ウケるぅー、そうだそうだ、いいぞー」
しか言わない。
その食い気味に全肯定してくる声を聴くことが、
明け渡す、聖霊に癒してもらう、の意味である。
多分皆さんも経験したことがあると思うが、
新しい学校、新しい職場、新しい土地、など、
環境が変われば、緊張や警戒心も出てきて、
何かと自意識過剰になりがちだ。
その過剰反応の仕方は人それぞれだと思うが、
僕の場合は、自分のことを何か言われている、
という過剰妄想だ。
みんな普通に仕事をしているだけなのに、
なんかみんなから注目され、
意識されているように思えてしまうのだ。
なので、新しい職場に移ってからは、
仕事中もずっと自分の内側と対話していた。
今の僕はすでに、自分との対話が兄貴との会話
に直結してしまっているので、
結局、兄貴とずっと喋り続けていることになる。
そして、その間は背後側(神側)にいられるので、
自分を全肯定していられるのである。
というわけで、あんまり仕事をしてる感覚がない。
神に繋がっていることと小説だけの毎日である。