香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

夢の住人にできることはない

 

 

解釈を取り下げる、解釈しない、という言葉を、

 

コース兄弟であれば何度も耳にしたことがあるだろう。

 

しかし、

 

実際、そんなことできる人などいるのだろうか、

 

といつも思っていた。(今も思っている…)

 

それは、

 

目の前にコップが見えているのに、見えていない、

 

と主張しているのと同じで、相当な無理がある。

 

だって、取り下げる前に解釈してしまっているし、

 

瞼を開けたら何かが〝勝手に〟見えるのと同様、

 

考える、という働きは人間の脳の機能であるからだ。

 

自分にとってなにか不都合な解釈をした、と、

 

意識が気づいた時にはすでに解釈は終わっている。

 

それを取り消すなんて無理である。

 

 

 

 

昨日、地下鉄で通天閣で有名な恵美須町へ行った。

 

エレベーターで地上に上がるとき、

 

若い中国人のカップルが乗り込んできた。

 

彼らは扉を閉めるボタンの前でスマホを見ていて、

 

一向にボタンを押す気配がない。

 

一瞬、むかっ腹が立った。

 

扉の前にいてボタンを押さないのはマナー違反、

 

だから中国人はだめなんだ、ホントサイテー、

 

という解釈がパパパ、と自動的に立ち上がってきた。

 

以前の自分だったら、こんな解釈をした途端、

 

ダメダメ、これは自我だ、赦すのだ、とやっていたが

 

赦すも何も、もう出てきたあとで、後の祭りである。

 

 

 

 

こいつらサイテー、で何ら問題ないと解かっている、

 

何ら裁く必要がないことを理解している。

 

なぜなら、それは自分が思ったのではないからだ。

 

ふっと出てきた思いを自分だと思っている。

 

 

兄貴に返して明らかになるのは、愛だ。

 

正確には、愛という言葉でも表現できない、

 

理解不能ななにか…(笑)

 

 

blog.hoshitani-shusaku.com

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解釈するのは、目や耳や鼻の機能と同様、

 

人間に備わった脳(意識)の働きに過ぎない。

 

問題なのは、その機能(意識)を〝自分〟だ、

 

と錯覚して、自分で何とかしようとすることである。

 

聖霊に一致させて動いたり、兄貴に任せるのも結局、

 

一致させたり、任せようとする自分が居る時点で、

 

自分で何とかコントロールしようとしている。

 

 

ただそのままでいさせること、

 

それが、一瞬沈黙する、の真意となる。

 

一瞬一刻、湧き上がる思いに開いている。

 

抵抗せず、そのままの想いを恥じない。

 

この一瞬の静寂の中から、神が立ち上がってくる。