今日は西宮の酒蔵通りにあるアンリ・シャルパンティエ
(言いにくい!)でアフタヌーンティーをしてきた。
名物のクレープ・ジュゼット(言いにくい!)を注文。
なんと、目の前でクレープを焼いて見せてくれた。
出来上がったクレープはオレンジリキュールが効いた
大人の味で、アッサムの紅茶とよく合った。
なんかもう、
世界の何から何まで〝自分〟に見える。
いや、自分というのもなく、ただ〝同じ〟に思える。
地下鉄の向かいのシートに座っている会社員、
スタバでコーヒーを作ってくれた女の子、
ユーチューブで聞く音楽、コンビニのおにぎりの味、
肌に感じる風の冷たさ、LUUPで通り過ぎる学生、
あらゆるものが自分(神)だ、と感じられた瞬間、
街を歩くだけで、感謝と感動で、涙が溢れそうになる。
前世の自分、過去の自分、未来の自分、来世の自分、
あの時自分を傷つけたあの人、辛かったあの出来事、
今この瞬間に在って、愛の光を放っている。
自分が兄貴だった、という事実に驚愕している。
もっと言えば、
兄貴しかいなかったことに仰天している。
あの人やこの人が消え、あの事やこの事が消え、
好きや嫌いが消え、最後に〝わたし〟が消えてゆく。
ここまできたらもう、言葉では到底説明できない。
本当に夢だった、本当に無かった、本当にウソだった、
本当に愛だった、本当に在った、本当に神だった、と、
これまで、頭で理解して知っていると思っていたことを、
〝本当〟にそうだった、と〝体験〟が起こってみれば、
愛の悦びが夢の中にまで差し込んでくる。
傷ついたり、怒ったり、無力感に打ちのめされたり、
今この瞬間に味わう、その体験だけがすべてである。
凛として、その体験を、じっと見つめるのだ。
それが神を見つめるのと同じことになる。