香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

総経理辞める!


↑今日は買ってきたお弁当を食べた。下は羊肉の唐辛子炒め。今日口にした食べ物はこれだけ。

毎度おなじみ龍崗工場の総経理(台湾人/41歳/独身)が、

6月20日付けで辞職することになった。

このことを知っているのは、いまのところ僕と本社の役員だけだ。

彼はもともと一年ごとの契約社員で、一年前に採用になり、

工場を改革するために入社してきた。

中国各地やヨーロッパでの仕事経験があり、入社後も経費削減に一生懸命取り組み、

短期間で成果を上げた人だった。


コックと食材業者が癒着しているのを暴き、食材業者を管理部で管理するようにした。

残業を一切禁止して、残業している社員を残して上司が早く帰ることも禁止した。

工場横の修理屋が、うちの工場からこっそり電気を引いていたことを突き止め、

刑事告訴した。

遊んでいる社員を厳しい上司のもとへ異動させるなど大胆な人事異動を行なった。

やる気のない製造部長を辞めさせ、台湾人の部長を入れて厳しい管理体制を敷いた。

日本人幹部が申請する不必要な出張を一切許可せず、食事接待なども制限した。


勢い、これまで20年間、なあなあでやってきた社員たちは彼に対して一斉に反発する。

特に日本人の現場社員からは、来客の報告や業務連絡をわざと

本人が分からない日本語で行い、通訳に翻訳して送付するよう指示すると

「日本語ができないあんたが悪いんでしょ。」と逆切れされたり、

会議で重箱の隅を突くような管理体制の落ち度を指摘されたりして、

いわゆる〝プチいじめ〟を受けるようになっていた。


その反面、現場の女工さんや、係長、課長さんたちからは絶大な信頼を得ていて、

毎日現場を回っては中国人社員の人たちと話をし、

女工さんたちが日本人の現場社員たちから「バカか。」「死ね」

などの暴言を日常的に吐かれていることを知って、本社に報告したのも彼だった。

(それがあのISO事件の部長だ。のちに警告書を出された。)


「こんな低俗な人たちに関わずらって、これ以上自分の人生の時間を無駄にしたくない。」

と言うのが辞職に対する彼の言い分だった。

彼とはよく一緒に御飯に行く仲だったので、彼の経歴についてはよく知っていた。

以前の会社でもばりばり仕事をし、実力を発揮するのだが、

最後は必ず〝敵意むき出しでどうにも我慢ならない上司なり部下〟が現れ、

1-2年で何度も転職を繰り返してきたという。


この辞職の話を聞いたとき、まず僕が思ったのは 「もったいな!」 だった。

せっかく終わらせるために何度も出てきてくれているのに。


人はある程度年齢を重ねてくると、だいたい自分が歩んできた〝人生のパターン〟

みたいなものが見えてくる。

たとえば:

「自分はどんな人とどんな恋愛をしても、必ず最後はこうなる。」

「仕事をしても何をしても、最初はすごく順調なのに、終わりはなぜかしりすぼみ。」

「一生懸命何かをやっても必ず誰かにぶち壊される。」

「ある種の人に対してだけ、どういうわけか怒りが抑えられない。」

など、手を替え品を替え、同じことをリピートリピートしていることに気付き、

「自分って何やってるんだろう。」と思いながらも、

無意識状態にさせられた意識は同じループを反復する。


肩の荷が下りて相当うれしかったのだろう。総経理の彼はとてもハイになっていた。

今後はアメリカの友人がやっているマーケティング会社へ行くことを検討中という。

「こんな人たち…」と彼は言うが、ここでちゃんと終わらせなければ、

与えられたと思ったらすぐに取り上げられるエゴのパターンを繰り返すことになる。

自分が作っているので、これが真実ではない、ということを確認するまで、

この日本人たちは、今度はアメリカ人になってどこまでも彼を追ってくるだろう。


でも、ここまで書いて、もし自分が彼の立場なら、

やはり逃げ出していたのではないか、とも思う。

スピ系のちょっとしたセッションとかをやっている人がこの話を聞いたら、

「彼が見ている夢も、兄貴が仕組んだ完璧なシナリオなんだよねえ。」

とか、言うのだろう。


そう言ってしまうのは簡単だが、いざその渦中に入ると

〝あわわわ〟とちょちょまってしまうのが人の常だ。

そういう意味で僕の兄貴は、僕が〝あわわわ〟とならないで済むように、

〝総経理に起こっていること〟として僕に見せてくれる。

「僕の身にこれを起こさなくても、ちゃんと赦しを実践できる。」

と、そう僕の兄貴は踏んだのだろう。

人に起こったことを赦すことによって、自分をも赦すことができる、

ということを学んだ、貴重な一日だった。感謝!