今日は新会社のロゴと名刺のデザインの打ち合わせのため、深圳のデザイン会社を訪れた。
ずっと以前に会社を設立する際にもお世話になった会社で『銀狐広告社』という。
社長の常(チャン)さんはとても穏やかな人で、功夫茶(カンフー茶)を淹れて下さり、
濃厚な鉄観音の味を楽しみながら打ち合わせをした。
(※功夫茶…中国茶葉をいっぱい詰め込んだ急須に湯を注ぎ、小さなおちょこで飲む)
こちらのカンパニーイメージを伝えながら、デザイナーと一緒に色や配置を決めて行く。
こういう仕事は楽しくて大好きだ。
開け放たれた窓から爽やかなそよ風が吹き込み、穏やかな金曜の午後を満喫する。
帰りも明るい秋の日差しの中を、ゆったりとした足取りで、駅へと続く道を歩いた。
ここのところ、急に思い立って始めた〝起きてないごっこ〟であるが、
すでにそれは〝ごっこ〟の域をはるかに超え、
これまでは見るモノ、起きている事、出会う人に適応していたのが、
今日はとうとう自分の中に湧きおこる思考にまでこれを適応するようになった。
ぼうっとしている時に湧きあがる過去の体験、例えば、ちょっとした憎悪の相手であるとか、
悔しい思いをした出来事、大昔に誰かが言った何気ない一言などがふと浮かんでくると、
これは全部嘘だ、起こってなかった、故に罪はない、とその都度宣言した。
今日の〝起きてないごっこ〟は、聖霊をメインにしてやってみた。
何十年も前に言われた「ばかじゃないの」の一言を、なぜかいま思い出したとき、
それは起こっていなかった → いまこれを考えている自分も起こっていない
→ 故に何の罪もない → もうわたしは聖霊しか受け入れない
とまあ、こんな感じで、何かを思考するたびにこれをやり続けた。
必死になってでもなく、スポ根的でもなく、無理矢理でもなく、
ほんとうにこれをやると気持ちがよくなり、何かが消えていく心地よさがあるのだ。
そりゃそうだ。無意識のエゴが聖霊によって解体されてゆくのだから、無理もないだろう。
香港までの列車の中、ずっと聖霊と会話していた。
もう音楽を聴いたり、スマホをいじるより、こっちの方がはるかにリアルでおもしろい。
これからはどんなことがあっても絶対に100%あなただけを選ぶので、
僕の中に入ってきて、全ての無意識の罪悪感を解体して行ってください、とお願いし続けた。
そして、正常なハートの愛(神の愛)だけを感じられるようにして下さいと…。
もう一瞬たりともエゴを選ばない。100%聖霊しか選ばない。できるのはそれだけだ。
1歩許せば、エゴは100歩踏み込んでくる。
ここ数日の〝起きてないごっこ〟は僕の中の何かを変えたようだ。
特に肉体も変化してくるみたいで、今日電車のガラス窓に映る自分を見てびっくりした。
光の粒子や霧のようなもやが頻繁に見えるようになった。
食べなくなり、お酒も受け付けなくなり、痩せた。
以前にもまして、見知らぬ人から〝ガン見〟されるようになった。
こっち、あっち、これ、あれ、とピンピン直感が入るようになった。
目がアーモンドみたいな形になってきた。
耳の形がますますヘン!
時々、夢の中のように、異空間に迷い込んでいるような感覚に陥る。
自分の肉体なのに、自分でないような感覚。意識が薄れるような感覚。などなど…。
波動や周波数は、全ては幻想だということが本当にわかった意識には関係ないのだろうけど、
波動が上昇することによって、赦しやすくなり、気付きやすくなることは確かなようだ。
やはり、コースが書かれた70年代と今とでは、どう考えても、
周波数(ビット数)の桁が違ってきていると思うのだ。
そんなこんなで、今日は早めに仕事を切り上げ、5時ごろには家に戻ってきた。
近くの公園にしばらく佇み、夕暮れを楽しんでから家に帰った。
ああ、眠い。