↑『私の広東語手帳』CD録音風景。プロのアナウンサーの方にやってもらった。水道橋にて。
出版社から『私の広東語手帳』の再版が決まったと連絡があった。
ひゃっほーい!
というわけで、昨日、今日とずっと部屋にお籠りだった。
ジムに行こうと思っていたが、外に出る気全くなし。
昨日はずっと〝小説3作同時創作〟をしていた。
WIFIやケータイの電源を切り、ネットを完全にシャットアウトして臨む。
一作目が煮詰まると、別の一作に移り、それがにっちもさっちも行かなくなると、
三作目を手掛けるという、逃げ逃げの創作方法なのだが、
集中力が持続するので、量がこなせる。なかなか自分には合ってるかも。
最近頻繁にある直感が入ってくる。
自分がこのブログで書いているような体験や学びを、
日本ではなく、香港台湾を含む中国圏で発信していけ、というものだ。
小説などの間接的な表現ではなく、直接、書籍や講話会などの形で伝えていけ、というのだ。
もう兄貴しか受け入れないと決めたあたりから、仕事をしていても、道を歩いていても、
この考えがあふれ出してくる。
みぞおちのひゅんひゅんとともに来るので、兄貴からのメッセージであることはわかっていた。
しかーしっ!
そんなの無理!無理!無理!
第一、僕なんかがそんな恐れ多いこと、できるわけがない。
それに、ハレ師匠や乙女ののりちゃんがいる日本ならまだしも、
仲間もいないのに、どうやってそんなことができるというのだ。
誰かのサポートをするとか、まずは中国のブログとかで発信とか、
妥当な線で取引をしようとする。
しかし、兄貴からのメッセージは明確だ。
自分一人で立て!
20代の時から北京語や広東語やベトナム語を学ばせ、
香港に住まわせてきたのは何のためだったのか。
頻繁に日本へ帰れる環境を作り、学ばせてきたのは何のためだったのか。
ずっと導いてきたではないか、と…。
いやいやいや。
それはそれ。これはこれ。
とにかく今はだめ! 年金がもらえるまで、ぜえーったいにイヤなのーっ!
(お、おまえーっ。ね、ねんきんって…。←from 兄貴。)
それでも、兄貴は放さない。
11月に入ってからは、否定しても否定しても、ガンガン来る。
そのメッセージに比例するように、仕事に対する意欲も失せてゆく。
本当はわかっている。
自分は導かれていること。もう今までのやり方を終える時期に来ていること。
自分がいま、ここにいる意味も…。
昨夜『奇跡講座』を読んでいるとき、突然〝マカオ〟という地名が入ってきた。
マカオは元ポルトガル領で、品川区程の面積しかない小さな都市だ。
キリスト教が盛んなのと、一部のカジノの地域を除いて人口も少なく、人々は至っておおらかだ。
↑2011年5月。軽井沢のインテンシブが奇妙な旅のはじまりはじまりぃ〜、だった。
もう本当に起こってないことを悟り、本気で兄貴しか受け入れない、と全託すると、
兄貴も根性入れて、なんとか我が家へ帰そうと全力で出してくる。
こわいよおー。
ここらへんの葛藤はしばらく続きそうだ。