香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

究極の時間稼ぎ



一週間ぶりにジムに行って身体を鍛えた。

もう最近は、あまり高重量を扱わなくなっている。

マシーンで軽めの筋トレをしたあと、

いつものように、ストレッチエリアで、

アンフィニの音楽を聞きながら、

〝サファリのタブ吹き飛ばし瞑想〟をやっていたら、

あまりに縦軸に集中し過ぎて、

空間があり得ないくらい揺らいで見えはじめた。

「あれえ?なんか水に映る景色を見てるみたい。」

「ひょっとして、壁に手を入れたら入るかも…。」

そう思い、そっと指先を眼前の壁に押し付けてみた。

壁に指がついた途端、指の周りから、

波のような波紋がぶわぶわぶわっと広がった。

うわっ、やばい。

怖くなった僕は、反射的に壁から指を離し、

事なきを得た。

と、次の瞬間、あるメッセージが入ってきた。

「消えるのは、びびって指を離したお前だ。」

言葉で聞こえた訳ではないが、

この一瞬で、全ての意味が解せた。


これまでは、うわっ、やばい、と思っている

その想いを明け渡していた。

しかし、明け渡すのは、想いや思考ではなく、

うわっ、やばい、

という想いを発する〝もと〟である、

自分の意識そのもののほうだ、というのである。


他責型の僕の場合、

相手から何か言われたり、

何かされたりしたときに感じる憎悪や怒りを、

一旦自分の方へ戻し、

罪はない、分離は一度も起きてない、

故に投影も起きてないし、でっちあげだ、

として父に返した後はただただ委ねる。


しかし、このとき、

本当の本当に返すべきものは、

あると思っている罪悪感でもなく、

次々とやってくる0と1の設定でもなく、

自分のものと思い込んでいるエゴの思考でもなく、

いま、ここで、赦しを実践している、

この自分そのものだったんだ、と…。


ここは非常に語弊があるかもしれないが、

奇蹟講座のワークブックも、コースの勉強会も、

無数のスピ本も、なんとか会や何とかリトリートも、

全部、自分の意識が仕組んだ、

〝時間稼ぎ〟に過ぎない、ということに気づいたのだ。


「ワークブックを終えるまでまだ一年もある。安心!」

「家族や友達、仕事やお金、

 まだまだ沢山赦すことがある。ああ、安心!」

「来月もこの講義を聞いて、あの映像を見て…。

 いつかくる〝そのとき〟に備えるのだ。

 でもそれは今ではない。だから、安心!」

全部〝戻っていく〟という名目の時間稼ぎ。


なぜ、今じゃないと安心なのか。

これをやっている間は、自分は消えなくて済むからだ。

赦しをどれだけやろうが、周波数をいくら上げようが、

エゴは生き残れさえすれば、それでオーケーなのだ。


だが、神に委ねて消えて行くのは、この、

〝あーんしん!〟とやっている自分自身であり、

〝赦しを行ない、父が待つ故郷へ帰るのだ〟

とやっている〝自分自身〟そのものだった。


こういう風に言うと、おおかたの反応はこうだ。

「ああ、知ってる知ってる。講義でも言ってた。」

「まずは日常の小さな赦しが重要だよね!」

「意識の自分が消えるのは肉体を脱いだ後の話だよ。」

「まだまだ自分に明け渡すものがたくさんある。」


それでも兄貴は言う。

これからは意識としての自分自身を

まるごと明け渡してゆけ!

想いの方ではなく、

中心で旗を振っている意識を直接削除依頼してゆけ、

時間稼ぎはもうやめろ、と…。


でも、そんな究極なことをやりはじめたら、

もとのもとの、そのまたもとの自分が、

本当に、完全に、完璧に、消滅してしまうじゃん!

兄貴だって、消えてしまうじゃん!


ちょっと待ってよ…。

と、大黒摩季でなくても叫んでしまう。


ええ、ほんと、ちょっと待ってほしい。


ただ、上記の内容はあくまでも〝僕の場合〟

ですので、悪しからずご了承ください。


兄貴の声が聞こえてくる。

心配しなくていい。

なぜなら、そんなの、もとから

存在すらしていなかったのだから、と…。