なんか、毒素が出きった後のように爽快である。
景色も鮮明に見えるし、肌もつやつやしている。
というわけで、18日ぶりに、オフィスに出社した。
仕事は山積みだったが、意識は落ち着いていて、
今日一日、その瞬間瞬間に顕れる事象や思いを、
何も起きてない、と丁寧に見とめ、赦し、
聖霊に明け渡していった。
明日のことへの不安が出てきても、
やっぱり、これは起きてない、と、いまここで赦す。
人に対する恐怖や憎悪が出てきても、
幻想の罪悪感が消えようとする瞬間としてとらえ、
対峙している相手をただ神の子と見て赦してゆく。
どんなにてんやわんやしていても、
現実のスクリーンの膜の後ろにたゆたう、
光の世界のほうをメインにして過ごしていると、
膜上で移り変わる、ただの影の動きのように見え、
事柄による差をあまり感じなくなってくる。
ただ、今日、気づいたことがある。
それは、自分がどれだけ〝私を攻撃してオーラ〟
を出していたか、ということ。
これまでは、相手に反応した結果、
自分の中から上がってくる思考や感情、または、
相手が仕掛けてくる〝俺を攻撃しろよオーラ〟を
粛々と否定し、赦し、聖霊に明け渡していた。
結果、相手を攻撃したい、という欲求を赦し、
平安にはなっていっていたし、
相手から受ける〝俺を攻撃しろよオーラ〟も、
〝俺を赦せよオーラ〟に変化したりしていた。
だが、それでもすっきりしないのはなぜだろう
と、ずっと感じていた。
が、何のことはない。自分も相手と同じ
〝僕を攻撃して〟波動を出しまくっていたのだ。
気づいたからには、それを真正面に置いて観察し、
こんなもの信じないし、同意しないし、使わない、
と罪を否定して赦してゆく。
後は、聖霊に全部明け渡し、終了。
また、出てくるかもしれないが、兄貴に渡すだけだ。
こんな感じで始まった10月のお仕事。
もう、膜の中では暮らさない、
と決めた今日この頃であった。