香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

〝結果〟の存在


↑ストライキ中の工場の垂れ幕(上海にて)


昨晩、むずむず症候群になった。

眠っているときなどに、手足をじっとさせていると、

虫が這うように神経がむずむずして耐えられなくなる。

寝床から起き上がったり手足を動かすと症状が消える。

なので、絶えず寝返りを打たなくてはならず、

眠りに落ちるとすぐに〝むずむず〟が始まるので、

気持ちよく眠ることができない。


以前、テレビの情報番組でこの症候群のことを見て、

どんなものか知っていたので、

「ああ、あれか。」と思い、布団の中で赦していた。


避けようとせず、このむずむずをじっと観察する。

びゅんびゅんがむずむずに変わっただけだ、と解る。

この不快感に反応して被害者としての自分を作り上げ、

自分を罰しているのだな、と認識する。

決断の主体の位置(背後のちょっと奥のほう)へと、

その不快感を持って行き、次のように唱える。


「自分は今も完璧な実相の世界の住人である。」

「完全な愛そのものの存在であり、無辜である。」

「罪なんか犯しようがないし、分離も罪もない。」

「なので、被害者でいる必要もない。」


そして、むずむずをそのまま聖霊兄貴へ渡し続けた。

むずむずが消えても消えなくてもどちらでもいい。

ただひたすら被害者でいることを放棄し続ける。

決断の主体が、被害者であることを止めない限り、

たとえ、周波数を変えて、このむずむずが治っても、

しばらくすると、別の〝むずむず歯痛バージョン〟

なんかが始まったりする。


そんなことをしているうちに、朝方になり、

いつの間にか眠ってしまった。

決断の主体の位置から明け渡しを始めて以降、

次々と、いろいろな謎が明らかになってゆく。


昨夜〝むずむず〟の明け渡しをしていたとき、

久々にバカン、と気づきのようなものが訪れた。


自分が〝結果〟そのものだった!


毎日、こうして、ブログを書いたり、仕事をしたり、

食べたり、飲んだり、考えたり、おしゃべりしたり、

過去や将来についてあれこれ思考している自分は、

全部、投影の〝結果〟だった。

この自分は何もやってないし、原因にすらなれない。


自分というのは、

選択することで新たな未来を作りだしたり、

努力することで願いをかなえたり、

何かを行なうことで運命を変えられる存在ではなく、

すでに確定している結果の存在に過ぎなかったのだ。


こんなことは、とうの昔に本を読んで知っていた。

しかし、どこかに、投影を見ている自分というものが

存在し、その自分が何かやったり考えたりしている、

いや、そうでありたい、という自我の欲望があった。


「個としての自分なんてないよね」と言いながらも、

外に顕れているのは投影、それを見ているのは〝私〟

と、無意識のうちにやっていた。

〝私〟も投影の結果なのだ。


この世界を見ている自分というものは存在しない。

だって、この自分すらも投影の結果だからだ。

幻想を見ている自分というものなどなく、

自分という幻想が、結果として顕れているに過ぎない。

自分自体が幻想そのものだったのだ。

それは決断の主体も、聖霊兄貴も同じである。

最後にはみんな消える。

だから、毎日息をして、生活しているこの自分が、

悟るなんてありえない。


個の自分は〝むずむず〟を治すこともできないし、

天国へと帰るための何かができるわけでもない。

唯一できることはじっとしていることだけだ。


本当の意味で、この事実を容認すると、

とても救われた気持ちになる。

分かってはいたが、入ってなかった。


ただただ兄貴に大の字状態だよ。

それでも、まだまだ決断の主体は、

イニシアティブを取りたがるだろうけど…。


もうすぐ2016年。

〝私〟が消えて行くことを、少しづつ許してゆく。