香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

ハートの延長



今日、出張の旅費交通費を清算したところ、

全部100香港ドル紙幣で支払われた。

これって5万円を全部千円札でもらうようなもんで、

男物の長財布では、すぐにぱんぱんになってしまう。

ケリーに大きなお札に換えてくれと言ったが、

1000ドル紙幣を切らしているという。

たとえ小額紙幣ばかりでも財布が膨らんでいると

すごくリッチになったみたいで気分がいい。

無駄使いしてしないように注意しなきゃ。


今日は割合忙しかった。

フィリピンは明日からクリスマス休暇で、

日本も明日は天皇誕生日の祝日、ということで、

今日中に処理しておきたい案件を片づけた。


昨日も書いたが、投影自体は起きていないのに、

決断の主体が元ネタを立ち上げた時点で、

びゅんびゅんドキドキは来るので、

即座に決断の主体に戻して、兄貴に渡し続ける。


仕事をしていると、

メールひとつ、スカイプひとつ受け取るたびに、

元ネタが立ち上がり、内容に関係なくびゅん、となる。

攻撃されそうな人の名前がメールの差出人の欄に

ピコン、と上がった時点で、ドキッ、とくる。


1)ここでは何も起きてない。兄弟は何もしてない。

2)決断の主体の位置へ立ち戻り、びゅんを観察する。

3)神との分離はもともと起きてない。

  今も自分は完全な愛の中で幸せにまどろんでいる。  

  父は自分を死ぬほど愛してるんだ。だからもう、

  こんなへんてこりんな防衛をする必要なんてない。

  全部放り出して、もう目を覚ますんだ

  と、自分自身でもある決断の主体に語りかける。

4)訂正されるべき誤りとして、静かに兄貴へ渡す。

5)世界平和の祈りとともに感謝。

5)真核(ハート)の愛が延長されるに任せる。


こういうことを、デスクの前で延々やってた。

ほんの小さな小さなものまで、決断の主体に振り戻す。


完全に「ここでは何も起きてない」ということが

だいぶ腑に落ちてきているので、何が来ても、

目の前のことに飛び込んではいかなくなった。

なので、ドキびゅん、はあるが、

相手に対してや、物事に対しての恐怖はない。



僕の場合、現実的な〝終了〟の方法として、

〝相手に直接言ってしまう〟というのがある。


「僕、あなたのことがすごく苦手なんです。」

「さっきの一言ですごく嫌な感じを受けました。」

「その接客態度にちょっと悲しくなりました。」

「解ってるふりをしてましたが、本当は解りません。」


人と場合にもよるが、

こうしてください、こうしたほうがいいよ、という、

要求や注意ではなく、感情をこめるわけでもなく、

ただ、自分が今感じていることを表現するだけ。

これって、すごく勇気がいるように見えるが、

数回やれば、案外なんでもなくなる。

相手がどんな反応をしようが構わない。相手は自分だ。

こうすることで、自分と相手の間で中立な状態が生じ、

結果、再投影が起こりにくくなる。


また、

明け渡した後に訪れる〝兄貴の愛の延長〟であるが、

これって〝感謝の念〟にとてもにている、というか、

同じだ、ということに気づいた。


といっても、誰かに対して感謝の念を抱く、とか、

全てのものに感謝を以って接する、とか、

「ありがとうございます!」と心で念じてみる、

といった感謝では全くない。


ただただ感謝の想いを発しながら、道を歩いたり、

仕事をしたりしている。ただそれだけ。

ただ、ひゅんひゅんみぞおち辺りから、

波動のように振りまいているだけの感謝の想いである。

こういう時はハートが延長されていると確信していい。

ちょっと余談だが、

23日は天皇陛下のお誕生日。

天皇陛下って、美智子妃もそうだけど、

純真さと愛が外見ににじみ出ていて、

感謝の想いを放ってる人だな、と思う。

お誕生日、おめでとうございます。