0と1の設定では、今日は〝母の日〟である。
特に、99%の男子がマザコンといわれる香港では、
母の日が近づくと、
母親から〝ちゃんと私を祝いなさい。〟指令が来る。
香港人男性は、基本的に母親を怖がっているので、
結果、母親から何か頼みごとをされると、
恋人や奥さんよりも母親が優先される。
男の友人を見ていても分かるのだが、
母親から電話が来ただけで、背筋をぴんと伸ばし、
直立状態で話していたりする。
一体、どうすればこういうふうに躾けられるのかと、
いつも不思議に思ってしまう。
そういうわけで、
母の日には、どこのレストランも超満員となり、
プレゼントを売る商店にも人があふれかえる。
こんな日はお籠りに限る、と、
朝7時にジムへ行き、ヴィ瞑想を1時間したあと、
開いたばかりの喫茶店で白先勇の小説を読み、
裏の森を散歩して、昼からは完全書斎にお籠り、
という、まさに奇跡の一日となった。
(普段は大概昼まで寝てる。)
ジムでヴィパッサナー瞑想をしていたとき、
なぜか兄弟てっちゃんが目の前に現れ、
あっ、てっちんだあ、と思っていると、いきなり、
彼の外側の皮膚が掃除機に吸い込まれるように、
がばっと剥がれて天に持ってゆかれ、
後には白く光り輝く人型のてっちゃんだけが残った。
そうするうちに、
僕の友人、家族、同僚などが次々に出てきては、
まるでダイソンの強力掃除機で吸い取られるように、
外見の表面だけが、すぽっすぽと、
一瞬で天に吸い取られてゆく。
そして外見が剥ぎ取られ、光の人型となった彼らが、
ずらっと並んでいるのを見て、
〝みんな同じにみえるよ。〟
〝これじゃあ、誰が誰かわかんないよう。〟
と、僕は思った。
そのときはそれだけの体験で終わったのだが、
夕方の遅い時間、少しベッドでうとうとしながら、
この人型のことを思い出していると、
〝ああ、光の人型は真の聖性の象徴だったんだ。〟
〝こっちが真の彼ら(絵)だったんだ。〟
〝着ぐるみが何を言おうと、どんな状態にいようと、
今後は、ひとつの聖性だけに関わっていればいい。〟
というようなことが、ぱぱぱ、と理解されてきた。
これは、多分だけれど、Jが十字架刑に科されたとき、
自分を鞭打つ兄弟に対して愛しか感じなかったのは、
その兄弟が〝ひとつの聖なる人型〟にしか
見えていなかったからなのだろう。
僕もまだまだ学びの途中なので、
この〝聖なるひとつの見方〟ができないときも、
往々にしてあるだろう。
しかし、そういう時は、ただ兄弟を赦す。
それだけだ。