と教えてもらい、早速、アマゾンで購入した。
海外発送なので、なるべくまとめ買いで、と思い、
ワプニック氏の『奇跡の原理』と、『ダイレクトパス』
という非二元の本も一緒に購入した。
大和田菜穂さんの二冊目もおススメ欄に出ていて、
一瞬買おうかなあ、と迷ったのだが、
本人の写真ばかり見せられてもなあ、と思いやめた。
それに、
ノンデュアリティは絶対言葉では表現できない、
と断言している彼女が書く本に1,782円はちょっと…。
だって、言葉で表現できないんでしょ。
先週火曜日に代休を取った。
チョイ姐がお掃除に来るので、11時ごろ家を出る。
ジムでトレをして、その後カフェで届いた本を読んだ。
ゲイリーの3冊目は、以前中国語で読んでいるので、
『奇跡の原理』から読み始めた。
文字も大きく、文章も平易で分かりやすかった。
しかし、解説が学者っぽく、いかにも大学の教授や、
インテリの人とかが好むような説明のしかただ。
僕はハレ師匠に付いて、ある程度理論を学んだので、
ああこういうことか、と理解できるが、
他の人はどうなんだろう…?
まあ、1985年のセミナーを書き起こしたものなので、
ちょっと時代背景が違うのかもしれない。
今はデイヴィッドのように、感じることを通じて、
ダイレクトに聖霊に繋がっていける時代になった、
ということなのだろう。
それでも、このワプニック氏の本は、コースの基本が
ビシッ、と捉えられており、そこへ加藤三代子女史の
丁寧な翻訳も相まって、納得感はハンパない。
そう。
やはり神(或いは聖霊)への信頼なのだと思う。
例えば、
突然、胃が死ぬほど痛くなり、吐血までしたとする。
医者へ行くと、何の説明も無いまま注射を打たれた。
それでも治らないので、再度医者に行くと、今度は、
何かわからない点滴をされ、それで終わり。
「先生。わたしは一体、何の病気なんですか。
原因は何なんですか。」と訊いても、
「原因なんてあんたは知らなくていいから。
だまって、この薬を飲んで。」
と、錠剤だけを処方された。
そこで、不安でたまらなくなり、別の医者に見せた。
「あなたは胃潰瘍で、食べ過ぎが原因です。
いま、炎症を抑える点滴を投与しています。
この注射は痛み止めです。
それから、この薬は抗生物質ですよ。
あなたがやることは暴飲暴食を止めることで、
そうすることで胃潰瘍は1カ月で治るでしょう。」
と、その医者はきちんと病状を説明してくれた。
どちらの医者も同じ注射や点滴を打ち、
同じ薬を処方しているのだが、
最終的な効果は全く違うと断言できる。
なぜなら、後者は、ちゃんと説明されたことで、
自分を治そうとしてくれる医者への信頼感が増し、
納得が起きて、結果、心の平安が得られるからだ。
それにより、全てお医者様の言う通りにします、と、
安心してこの医者に委ね切る〝選択〟ができる。
結局、理論や原理を学ぶということには、
揺らぎない〝神への信仰心〟を生む作用が
あるのだと思う。
そして、この信頼感が大切な理由は、
知覚を癒してくれるのは聖霊だが、
聖霊を信頼して委ねてゆくかどうかを決めるのは、
この自分だ、ということだ。
なので、深いところでの納得が必要となる。
と言うのも、アンフィニ時代、
頭カランコロンで手放してゆけばいい、と言われ、
なにも考えず、出てきたものを統合し続けていた。
また、奇跡講座を始めた初期の頃、
出てくるエゴを見つめて、後は何も考えず、
ただ聖霊に明け渡せばいいと、大放出もやっていた。
しかし、いくらやっても、次から次へと出てくる。
終わるということがない。延々と続く。
途中、
「あれ? これ、絶対におかしい。」
と思うようになった。
それで、もう一度コースの理論を最初から見直し、
ああ、ベールの向こうはこういうカラクリだったのか、
と理解が起きたとき、同じ赦しをしているのに、
急激にあらゆる現実が削除されてゆくようになった。
ああ、今日は長文になった。
疲れた。おやすみなさい。