↑立派だが、広すぎて不便な佛山駅
今週は、日曜日にトレーナーについて筋トレをした。
日曜午後のジムはガラガラで、器具も使い放題。
体力的にも余裕があったので、トレを終えてからも、
腹筋やランニングなどの自主トレもできた。
トレーナーの指導の下で、食生活を変えてから、
パン類、菓子類、麺類を殆ど摂らなくなっている。
いまでは、さほど欲しいとも思わない。
トレーナー曰く、小麦(グルテン)には依存性があり、
今回、炭水化物の摂取を抑えたことで、
依存性が抜けたのだろう、ということだった。
トレーナーとのセッションを週2回、自主トレを週1回、
週3回の筋トレを行なっているが、
今日、ジムの更衣室の鏡に映る自分のボディを見て、
「うわっ、これ、自分じゃない。」と、一瞬思った。
肉体改造をして、別人のように生まれ変わった、
というような、外見のことを言いたいのではない。
なんというか、
肉体はイメージに過ぎず、自分とは何の関係もない、
ということを知るために、体を鍛えているような、
そんな気がしてきたのだ。
というのも、
トレーナーと行なう肉体改造トレは、
自分の肉体を細かくチェックし、そこへ負荷をかけ、
部位ごとに変化させてゆく。
そんなことを続けていると、ある時、肉体の自分を、
もう一人の自分が常に観察しているような、
不思議な感覚に襲われる。(←僕だけかも…)
まあ、これはとても矛盾した言い方なのだが、
自分が肉体ではないことをちゃんと解かるために、
身体を鍛える、というスタンスに変わってくる。
筋肉量が増え、脂肪がそぎ落とされ、
顔の輪郭や背丈まで変化してくるに従い、
「こんなヘンなもの、自分じゃないよ。」
と、別の自分が言い始める。
なんというか、
他者の肉体を見るように、
自分の肉体を見るようになるのだ。
どんなことでも、
兄貴の意志の中に入ってしまったら、
実世界へ戻るためのツールになってしまう。
↑ステーキと、キノコのなんちゃら。
粉物を避けると食費がかさむ、
ということを最近知った
話は変わって、
数年前、アンフィニをやっていた時、
他人の言動や、やっていることを見て、
「それって、外向きだよね。」とか、
「それは100のワクワクじゃないよね。」とか、
「あっ、まだ、現実を手放してない。」などと、
他人が表現するピンポイントの言動を取り上げ、
スピ的成長のバロメーターにしていた時期があった。
いまは、特に自分が他人に対して、
どんなにエゴっぽく思えるようなことをしていても、
それは全く実存していない、或いは、
兄貴の解釈を通してみれば、全く違ったものになる、
ということが理解できている。
結局、これはいいことで、これは悪いこと、
なんて、個の自分にはわかるわけなどないのだ。
要は、心の中で何を選択しているかが大切であって、
実際、肉体がどんな思考でどんなことをしようと、
もう本質の主体とは全く関係がなく、
自分や人のやった行ないが正しいかどうかなど、
個の自分にはぜーったいに分からないのだ、と、
完全にコーサンし、ゆだねてしまう。
いまは、まあ、そんな感じで進んでいる。
日本への帰国も近づいてきたため、
日本のアマゾンで色々と買い物をした。
ダニピタシート、ケシミンクリーム、塗る絆創膏、
ジバンシージェントルマンのコロン、ゴシゴシタオル、
トランクスの下着、ブルーライト保護眼鏡、など、
香港にもありそうで、実はないもの、を、
次々とカートへ入れてゆく。
その中で、今回、自分でも一番不思議だったのが、
スピ書籍を一冊も購入しなかったことである。
なぜか、全然興味を抱かないのだ。
まあ、いまはそういう時期なのかもしれないが、
あまりに自分の中(後ろ側)ばかり向いていたため、
答えを自分の中に求める癖がついてしまっている。
今、夜の11時。
今晩、寝ている間に、どんな記憶が書き換えられ、
どんな人が削除され、追加されるのだろう。
まあ、個の自分には知る由もないが、
また、明日の朝に目覚めたとき、
新たな過去の記憶(設定)がスタートする。
そして、
その設定を使って、僕たちは正気に戻り、
実世界で永遠に目醒めるのだ。