香港さんといっしょ!ー純粋非二元で目醒めを生きるー

欲望都市香港で覚醒した意識で生きることを実践中。今回を最後の生にするための日常を綴っています。

背後と背後でこんにちは

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前回の記事で書いた、どんなときも、間断なく、

 

聖霊を憶えている、という心の訓練は、

 

僕にさまざまな変化をもたらした。

 

 

そうは言っても、僕もまだまだ修行の身であるため、

 

忘れては思い出し、離れては戻り、の繰り返しである。

 

それでも、自分は肉体ではなく〝心〟だったんだ、

 

という自覚の中で、自分というアイデンティティが、

 

肉体から心へと、移行し始めたのを感じている。

 

 

というのも、

 

以前、このブログでも書いた〝自我の逆襲〟以降、

 

心の中へ戻ることが怖くなっていた時期があり、

 

自己概念B(肉体)レベルで大放出をしてしまっていたり、

 

どこか、うわ滑ったような赦しをしていたりした。

 

 

まあ〝ドカびゅん〟マックスの最中は、

 

外に原因を見いだすこともできず、また、

 

誰のせいにもできない恐怖や怒りにただなす術もなく、

 

その〝自我の抵抗〟が落ち着いてからも、

 

無意識のうちに古傷が疼くのを避けるようになっていた。

 

 

しかし、四六時中、聖霊を想い出していることで、

 

自我に警戒をするようになったからか、

 

自分のアイデンティティが肉体から心に移行すると、

 

徐々に、肉体が自分だ、という感覚が薄れはじめ、

 

逆に、自分は肉体ではない、という感覚が強くなった。

 

 

それでもまだ、僕の心の中(自己概念A)は、

 

間違った心の状態なのだけれど、

 

そんな心の中を直視して赦せるようになってきた。

 

これからは、こうやって、聖霊兄貴と共に、

 

心の中から世界を眺めてゆくうち、いつかきっと、

 

決断の主体にまで運ばれていくのだな、と確信した。

 

 

blog.hoshitani-shusaku.com

 

人や、動物や、街の風景や、自然の風景など、

 

世界が全て後ろ側(心の中)へ返されてゆく。

 

やがて、自分が肉体ではなく、心だった、と自覚すると、

 

この兄弟も、あの兄弟も、みんな肉体じゃなかった、

 

というふうに知覚されてくる。

 

 

感覚的に言うと、自分の背後と、他者の背後、つまり、

 

自分の心の中と他者の心の中は後方で繋がっており、

 

同じひとつのものだった、と感覚化されてくる。

 

 

そうなると、肉体としての誰かがやっていることを見て、

 

この人はこういう所が間違っている、とか、

 

あの人はまだ分かっていない、と思うことに、

 

一体、何の意味があるというのだろう。

 

だって、その人が本当にどうなのか、なんて、

 

誰にもわからないし、誰かを見て何かを想ったとすれば、

 

それは自分の心の中を通して見た他者の姿のだから、

 

それはまぎれもない〝自分の姿〟である筈である。

 

 

しかし、僕も、そんなに偉そうなことは言えない。

 

それでも、相手を批判したくなる衝動は湧いてくる。

 

ただ、聖霊を感じながら生活している中で、

 

そういうことに、少しずつ気づけるようになってきている。

 

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というわけで、明日から山梨の甲府である。

 

月曜日と火曜日の午前中を甲府で過ごして、

 

午後から東京へ移動をする。

 

明日日曜に日本へ移動するので、休日出勤である。

 

これで、未消化の代休が4日になった。

 

休みを取らないと元コンババ部長がうるさいので、

 

それで、来月、ごそっと連休を取ろうと考えている。

 

 

今回の飛行機は、行きも帰りも日本航空。

 

JALは、即席ではないお味噌汁が出る。

 

というわけで、

 

日本では、美味しいものをいっぱい食べながら、

 

これらの、

 

起っているように見える心の中の出来事を見つめ、

 

聖霊にごそっと捧げてゆくのだ。