土曜日はいつも、家でお籠りをして過ごしている。
今日は、昼から少し書き物をしたあと、
たまたまつけた、CS放送のニュース専門チャンネルで、
宮迫博之と田村亮の記者会見をやっていたので見た。
二時間以上に渡る生放送だったが、オールで見た。
「俺にはお前ら全員クビにする力がある。」
「在京5社、在阪5社のテレビ局は吉本の株主やから、
このまま静観してたら、うまいこと抑えられる。」
「おまえらはファミリーや。ファミリーに契約書はいらん。」
という吉本興業の社長の言葉などが次々に暴露される。
二人はすでに契約解除をされているそうだが、そもそも、
契約書もないのに、契約解除ってあり得るのか。
それになにより、田村亮のやつれ方がハンパなかった。
頬はこけ、ホウレイ線くっきり、目の下はクマで真っ黒。
まあ、これと言って何か面白い事を言う訳でもないのに、
どうして、この人が、これまでテレビに出れていたのか、
いまいち分らない。これも吉本興業のチカラなのか…。
⇑ チョイ姐が百合の花を活けてくれた
それにしても、
一瞬で人生が180度変わるってどんな感じなのだろう。
そう考えると、僕たちは、良きにつけ、悪しきにつけ、
今日と同じ人生が続くよう努力し続けていると言える。
変わることを、何よりも恐れているのだ。
突然、不治の病だと宣告され、入院することになった、
ある日、旦那が愛人を作り、家を出て行ってしまった。
会社をリストラされ、生活が困窮している、など、
突然の災難で、僕たちの人生は一瞬で変わってしまう。
こんなとき、
「これは幻想で何も起こっていない、聖霊に全託します。」
と言ったところで、そんなの何の意味も為さない。
今の現状に対処してゆくだけで、いっぱいいっぱいだ。
それでも、
こういう〝ドびゅんびゅん〟な状況であるからこそ、
神を思い出す。
朝日の輝き、道行く人から受けたちょっとした親切、
床を這う蟻、タリーズで飲んだ一杯のコーヒー、
いつも使っているカップやテーブル、などなど、
眼前に広がる風景の裏で輝いている神に気づいてみる。
そっちが真実だ、ということを思い出してみるのである。
⇑ お気に入りブランド、AT20で爆買いしてしまった
これまで僕は、思い込みの罪悪感を見つめ、
それから、原因に戻り、聖霊と一致し、選び変える、
といった、どちらかと言えばワプニック氏寄りの、
赦しの実践をしてきたわけなのだが、
常に神の理解が起こっていることに気づいた瞬間から、
自分や兄弟を聖なる神の子として観れるようになり、
それが聖霊と同じように考えている、すなわち、
すでに選び変えている、という見え方へ移行してきた。
何が起こっても起きなくても、
ただ、黙って、みぞおちのハートへ降りてゆき、
そこから、感謝と歓びの反映として世界を見ている。
⇑ 今日はサクランボを買ってみた
でも、自分的には、ワプニック氏の原理を学んだうえで、
ハート(神の想い)に戻ってゆけて本当によかった、
と思っている。
あるように見えている罪悪感を直視すること、
決断の主体へ戻り、それは起こってないと認識すること、
神からの分離という、たった一つの間違いに気づき、
聖霊に訂正を依頼してゆくこと、
そういう実践を徹底的にやった時期があったからこそ、
ハートを恐れることなく、また、
お花畑状態に陥ることなく、
神(父/天国)へアプローチしてゆけたのだと思っている。
地獄経由で観たものは、本当は地獄でも何でもなく、
全て神だった、と認識できたのは、
地獄経由の体験があったればこそ、である。
眼前のインテリア、食物、人、出来事を通して神を見る。
今の僕は、エゴを直視する代わりに、
ハートから世界を直視してゆくのが真実となっている。