昨日は、あるコース兄弟と梅田で飲んだ。
彼とはもうアンフィニ時代からの付き合いで、
数年ぶりの再会であった。
時間が早かったので、まず喫茶店で近況を話した後、
恒例のKOHAKUで様々なワインや料理を試しながら、
いろんな事を楽しく語り合った。
給料日ということもあり、金曜夜のKOHAKUの門前には
かなりの行列ができていた。
しかし、移動している間も、順番を待っている間も、
ずっと喋りっぱなしだったので、全く時間を感じなかった。
自分が次に何を考えるかは絶対にわからない、
ようくうくその思考の発露を見つめると、自分の意志で、
〝考え〟を生み出しているのではないのが確認できる。
よって、起きてくる事は、
なにひとつ、自分が起こしているのではないので、
うまく行っても行かなくても、誰のせいでもなく、
考えを起こした自分も存在しない。
それがただ、設定された通りに起こっているだけである。
自己の不在に気づくことで、罪悪感が幻想だと分かる。
そして、見えているものや思考を見すごしていった後に、
不変の神の思いの中に真の自己を発見する。
まあ、そのようなことを僕は話した。
👇 こんな時代があったんだねというシュワシュワ 👇
また、もう一つ、二人の間で話題になったのが、
みんな本来は〝奇跡講座〟の学習者であるはずなのに、
どうして、デイヴィッドや、ワプニックや、ゲイリー、又は、
日本や世界でコースを教えている〝教師達の学習者〟
になってしまうのだろう、ということについてだった。
どんな教師でも、100%正しいコースを教えているか、
なんて誰にもわからないし、僕にしてみれば、
まあ、これは自分が出会った教師たちに限るのだが、
100%間違ったコースを教えている人もいない、
と思えるので、特に、この人がすごい、とか、
このコミュニティでやっていく、とか、あの人は違う、
というイデオロギー的な判断がなく、その時々で、
色んな人の色んな話を聞いて、自分なりに学んでいる。
だから、このブログにも、
時期によって、様々な教師たちが登場してくるし、
いまハレ師匠のことを書いているからと言って、
ワプニック氏全否定、なんていうことはあり得ない。
あくまでも奇跡講座を学んでいるのであって、
奇跡講座をやってる誰々さんに学んでいるのではない。
このブログも、奇跡講座を学んでいく中で、
あっちにフラフラ、こっちにフラフラしながら、
実践を繰り返して理解していく〝過程〟を書いている。
決して、
私は解っている、的な立場から書いている訳ではない。
また、ある程度、教師に付いて理論を学んだら、
あとは自分でやっていくべきだ、とも思っている。
なぜなら、神に気づくには、学校でお勉強をするように、
何度も講義を聴いて解かることばかりではないからだ。
中には、何度も講義を受けることで新たな気づきがある、
という人もいるが、それをやってしまうと、どうしても、
新たな気づきを延々続けることに陥ってしまう。
〝その人〟(他者)が先手になってしまうのだ。
(⇑ 経験済みのボク…)
⇑ この堂山町の昭和な路地裏が好き!
そんな感じで、KOHAKUを出てからもまだ話し足りず、
堂山町にある昭和な喫茶店で11時ごろまで話した。
もう、コースのことから、お金儲けの話まで、
話題はあらゆるジャンルを網羅し、
とても充実したひとときを過ごせた。
ありがとう、兄弟!
ああ、楽しかった。