👆 後ろ姿に疲れと哀愁が… 👆
なんか、最近、外側をほったらかしにしている。
外側で何が起きているように見えても、また、
動揺や緊張の思考がシュワシュワ湧いてきても、
ほったらかして〝いま在る神〟へと入ってゆく。
〝そこ〟にさえ戻れれば、何の問題もなく、
自分は神と同じものだと分かるので、
外側をイジる必要はどこにもなく、
勝手になるようになるだろう、という感じだ。
まあ、ひとそれぞれ神へのアプローチは違うので、
決して僕と同じようにしなくてもいいわけなのだが、
現時点での僕の場合は、
いまこの瞬間に抵抗しないことで神に入ってゆく。
そうすると、パラレルワールドとでもいうのだろうか、
意識の感覚が〝点〟というか〝縦の時間軸〟になり、
いま、ここ、この瞬間の縦軸の中に、過去の全記憶や、
未来の可能性が同時に存在しているように見える。
これは比喩ではない。本当にそのように見えるのだ。
なんていうか、言葉では表現しにくいのだが、
過去の記憶も、まるでいま起きているように感じられ、
未来の妄想も、もうすでに起きているように感じられる。
ただ、僕の場合は、そこに神が入っているので、
それら自分を動揺させる過去の記憶や未来への妄想も、
本当に無かった、と赦して、全自動消去されてゆき、
愛を感じさせる記憶や、心地よい未来の空想だけが、
神の愛とおなじものとして増幅されてゆく。
ずっと神と一つになっている時なんかは、
どんなにマイナスな思考が湧いてきたとしても、
それでも愛一色のエクスタシーになったりする。
そうなると、外なんかに構っていられなくなる。
ただ、外をほったらかしにしているからと言って、
現実を無視して、お花畑状態でいるわけではない。
外界がどんな状況かは、普通に理解できているし、
それに対してどう対処すべきかも普通に心得ている。
👆 本来はティッシュが置いてあった棚 👆
というわけで、今日は在宅勤務だった。
以前は在宅勤務って、自由だし、リラックスできていいな
と思っていたが、実際にやってみると全然で、
プライベートと仕事の境界が曖昧となり、
どちらにも集中できず、結局中途半端になる。
夕方、気分転換も兼ね、買い出しに出てみた。
昨日以上に、生活消耗品の品不足が深刻化していた。
特に、お米とティッシュとトイレットペーパーに至っては、
もうどこに行っても手に入らない。
まあ、差し迫って買わねばならない物もなかったので、
そのまま、僕が加入している近所のジムへ行ってみた。
香港のジムは、運動靴さえ履いていれば、
タオルも、ウェアも、無料で提供してもらえるので、
手ぶらで行ってもトレーニングが可能なのだ。
ジムでは皆、マスクを着けずにトレーニングをしていた。
床や、ストレッチ用のマットや、筋トレ用のベンチには、
汗が飛び散り、運動すれば当然息も荒くなる。
かといって、マスクを着けて運動するのは不可能なので、
新型ウィルスのことは気にせず、自由にしている。
それから僕は、胸と下半身を集中的に鍛えた。
途中、ボディコンバットが始まる、というので参加した。
キックやパンチなど、久しぶりに全身を動かした。
日常生活では絶対にしない動作をすることで、
使っていない筋肉を動かし、身体機能を活性化させる。
全身の筋肉がプルプルする。何だかすっごく心地がいい。
そして、
この心地よさこそが、神の想いに気づく起爆剤となる。