👆 最近ヒマなので、レモンマティーニを作ってみた
うまく表現できるかどうかはわからないが、
いま、僕が見えている世界観を書き留めておこうと思う。
この幻想の世界と、神がいる実相の世界は、
ドーナツ状の筒のような次元で繋がっており、この二つは
その連結点で表裏一体となってくっついている。
解りやすく言うと、低次と高次が連結している、つまり、
今、見えている空間(現実のスクリーン)の裏側に、
神の世界(実相の世界)が重複していて、その光が、
スクリーンの向こう側から透けて見えている、
なので、何を見ても神に見える、というイメージだ。
それで、自分の背後(心の中/ドーナツの筒の中)には、
自己と他者の間にある葛藤、社会の中で感じる罪悪感、
民族、国家、戦争、地球、宇宙のカルマなど、
多種多様な次元があり、そのひとつひとつを赦すことで、
それは起こってなかったと気づき、間違いが訂正されて、
最後は、筒の中を全て赦して(一周して)天国へと至る。
心の中(背後の世界/ドーナツ状の筒の中)
を赦すことで、僕たちは、時空を消滅させてゆき、
最後は実存(神/天国)だけが残ることになる。
ずいぶんはしょって書いたが、赦しのメカニズムは、
大まかに言えば、まあ、だいたいこんな感じだろう。
👆 仕事中に書いた。ラフすぎてすんません!
しかし、今の僕がやっているのは、上記のような、
背後のドーナツ状の時空を遡ってゆく方ではなく、
前方の空間から、ベールの向こう側に在る神へと、
直接、突き抜けてしまうやり方である。
自分が見ている空間(現実のスクリーン)の裏に、
神の国が連結されているのであれば、
わざわざドーナツの筒の中をさかのぼらなくても、
目の前にある現実のスクリーンの向こう側を透かせば、
そこにもう神がいるじゃん、という話である。
そして、そのスクリーンの裏側にいる神は、
いま、この瞬間に在り、いまに抵抗しないことで顕れる。
なぜなら〝現実〟のスクリーンを突き抜けるとは、
〝現にこうである〟という状態を直視する、ことなので、
過去や未来や頭の中の思考に惑わされず、
いま、この瞬間に抵抗せずにじっと在ることで、
現実のスクリーンが素粒子に解体されてゆき、
薄くなったベールの奥から実相の光が漏れだしてくる。
それこそ、僕がよく、椅子が神だったあー、と言って、
大泣きしたりしたり、神はもうここに在ったあーっ、と、
大騒ぎしているゆえんである。
最近は、空間(スクリーン)の裏側に天国の愛の想いが、
常に流れてているのを感じているので、
何を見ても、大好きーっ、が輝いている。
本当に周囲の人や物が、大好きーっ、
と、僕に向かって一斉に祝福をはじめるのだ。
そこはもう、
罪など、はなから無かった、と知っている場所、
つまり、天国であり、本当の自分がいる場所である。
何のことはない。神の王国はもうここに在ったのだ。