香港政府からマスクが送られてきた。
何回でも洗って使え、布の間に銅のシートが入っている。
着用してみると、使い捨てマスク特有のチクチク感がなく
デザインもいいし、立体構造なので息苦しさも感じない。
今後はこのマスクを使おうと思っている。
で、エドワードに「このマスクいいよね」と言ったら、
「オレは申請してない」という返事が返ってきた。
訊けば、コロナが収まりつつある香港では、
政府が中国国歌侮辱罪を成立させようとしていて
それに反発する若者の抗議活動が活発化している。
国歌を変え歌で歌ったり、斉唱の時に起立しなかったり
しただけで、逮捕され、罰せられるのだという。
それで、普段から政治意識の高いエドワードは、
抗議の意味を込め、政府配布のマスクはしないらしい。
じゃあ、
政府から支給される14万円も貰わないのかな?
こんど訊いてみようっと…。(笑)
(👆やめなさいっ。お前はいつも一言多いんだから!)
話は変わって、毎朝、電車で通勤する15分ほどの間、
ずっと、今や神や自分を全肯定しながら過ごしている。
電車は始発のホンハム駅から乗るため必ず座れるので、
僕はこの15分間を〝神時間〟と名付けて楽しんでいる。
今、この瞬間、どんな思いが湧き上がってきたとしても、
オーケーオーケー、赦す赦す、それでいい、大丈夫、と、
ただただ自分を全肯定し続けてやるだけなのだが、
そうやって〝自分〟にオーケーを出し続けていると、
心がとても安心して、ハートがわわわと上がってくる。
やがて、自分を通じて神を肯定していたことに気づく。
なんていうか、
〝今〟がただ流れて行っている感じ…。
〝今〟を引き止めず、流れるに任せている。
〝今〟に在る神を抵抗せずにただ見ていることで
〝今〟が肯定され、結果、神以外が流れ去ってゆく。
下車する駅に着き、席を立つと、乗客たちがみな、
神の子の実在に輝いて見える。
もう、みんなどこか、光っていてカッコいいのだ。
これは比喩ではない。本当にそう見える。
というわけで、今後どう変化していくかは分からないが、
〝自分〟〝今〟〝神〟を全肯定することが、
今の僕の、赦しの基本姿勢となっている。