👆ビクトリア公園の封鎖を破り、
数万人が6月4日を追悼する
天安門事件から31年目となる今年の6月4日は、
香港の人たちにとってはとても重要な日となった。
国家安全法が可決された今、
毎年行われてきた追悼集会も、来年からは、
違法行為とみなされ、参加者は逮捕されてしまう。
それで、僕の家の近くにあるヴィクトリア公園には、
多くの香港市民がキャンドル片手に集まった。
中国国内では、天安門事件は無かったこと、
とされているため、報道すらされない。
そういう意味で、
奇跡講座の勉強会を開く自由がある日本は、
まだまだ恵まれていると言わざるを得ない。
それにしても、誰もがその事を知っているのに、
起こっていない事として国民全員が口をつぐむ。
どんなに科学技術が進歩しても、
結局やっていることは昔と同じなんだね。
(もう、読者の方々は理解しておられると思うが、
これは奇跡講座でいう〝何も起こっていない〟
とは全く別の次元の事を言っているのでよろしく)
今日は終日大雨だったので、ずっと家で過ごした。
ひとしきり創作をした後、静かに瞑想をした。
瞑想と言っても自己流で、決まったやり方などなく
ヴィ瞑想に10日間参加した時の体験をもとに、
呼吸と肉体を強烈にスキャンしていきながら、
次第に自分の中の絶対的神を発見する、
みたいな感じの瞑想を1時間ほど行なうのだ。
そうしてじっと抵抗せずに沈黙していると、
じわじわハートが上がってきて、神を感じる。
最後に、本当の自分〝霊〟まで行く。
そうなると、外はただ自分が見ている夢で、
天安門事件も何も起きていなかった、と解かる。
ただ、その感覚は、ううん…、何ていうのだろう、
天安門事件なんて幻想だよ、フン、バシッではなく、
愛というか、愛への欲求というか、うまく言えないが
神の中での出来事、みたいに体感されてくるのだ。
瞑想後、鏡に映る自分を相手に自分会議をした。
鏡の中の自分を見て、これ自分じゃないと思った。
そこから、パッパッパッ、と次々に閃きが訪れ、
これ自分じゃない👉自分はここにいない👉あれ、
これコップじゃない👉じゃあ何なんだ👉神じゃん!
👉神をいろんなものに解釈してただけじゃん
というところまで行きついた。
何かが見えた途端、何かが聞こえてきた瞬間、
何かに触れた刹那、何かを味わったと同時に、
ほんの一瞬顕れた神を他の物にすり替えている。
見えているものとは別に神がいるわけではない。
ただ、解釈だけが問題だったのだ。